ジェイガイ

□この、身焦がす程の愛情を
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それは遥か彼方東の国での小さな物語。








「貴方が好きです」

食器を洗う手を止めた。
ジェイドがその低く甘い、耳朶に直接響かせるような声で、そんな事を言うから。
ガイは返事をしなかった。できなかったのではない。しなかった。
何故なら男は軍人で、明日、戦へ出るからだ。勝率を聞いたら、答えてくれなかった。
「ガイ」
名前を呼んだジェイドの声は酷く澄んでいて、思わず心の臓が震えてしまいそうだった。――何で今更そんな事言うんだよ。今になって。今頃。
ジェイドが何を求めているか、ガイは分かっていた。
二人は既に、自宅へ互いを招き、食事を振る舞う事ができる仲だった。口付けを交わす事ができる仲だった。体を、重ねる事もあった。
だけど愛の言葉を捧げた事はなかった。
そんな関係だった男が、突然そう言ったのだ。しかも戦に出る、直前の夜にだ。
―――もし生きて帰ってこれたら、一緒になろうと、言っているのだ。
これは冗談か、真の心か。――どっちにしろ、ちょっと酷だぜ。旦那…
「いやだ」
ジェイドを振り返る事もせず、ガイは再び皿の汚れを落としにかかる。
「ずるいじゃないか。脅しにしか聞こえない。あんたがそんな卑怯者だとは、思わなかった」
「……」
「…、……だから」
ガチャン、と皿が落ちる。
たった今までそれを持っていたはずのガイの手は、もうジェイドの首にしがみついている。ジェイドは、突然与えられた青年の温かさに、少しだけ目を見開いた。
「必ず、帰ってこい」
男の胸に顔を埋めて、ぴったりと体を寄せて、言った。
「必ず生きて帰ってこい。それからだ、この話は―――」









それから。
ガイはふらふらと村の外を歩いた。村は今、勝ち目の薄かった戦に勝利し、帰ってきた男達を迎えて沸いている。そんな空気の中になんていたくなかった。その中に、ジェイドがいないから。

誰かが言った。死霊使いが負傷したと。

戦場付近の集落で手当てを受けたらしいが、ガイがいくら容態を聞いても、誰もその後のジェイドの情報を知る者はいなかった。何故置いて帰ったんだと問い詰めたら、皆口をそろえてこう言うのだ、助かる傷ではなかった、と。
嘘だ嘘だ嘘だ約束したんだあいつはあの夜俺と指を切ったんだ必ず帰ってくるって言ったんだ。
(今度は甘く口説いてあげますよ、覚悟していなさい)
口説いてよ。じゃなきゃ俺は、あんたのものになれないじゃないか。
「いいのか…? 早く帰ってこないと、別の誰かのものになっちまうぞ……」
そんな風に囁いて、ガイはがくんとその場にくず折れた。
(嘘だ!)
ぼろぼろ涙が零れた。
どこにいるんだよ、ジェイド。あんたの事だから、きっと無事でいるんだろ? なぁ、何で便りのひとつも書いてくれないんだよ、療養するので帰りが遅くなる、たった一行でいいじゃないか、それとも、たった一行すら書けない程傷が重いのか? それとも、それとも、―――
ひっく、ひっく
しゃくりあげるのを止めきれずに泣いた。いやそんな可愛いもんじゃない、泣きすぎて、慟哭する体力が残っていないだけだ。
俺は馬鹿だ
あんたのものになりたかった
あの時首を縦に振りたかった
だけどあんたが俺を好きだと初めて言ってくれて初めて俺を求めてきてくれて
だから俺は応えなかった
そしたら旦那が俺を手に入れる為に死に物狂いで生き抜いてくれると思ったんだ
俺こそ旦那の心を取引の材料にした最低の卑怯者だ
旦那ごめん
卑怯者呼ばわりしてごめん
謝るよ
何だって言う事聞くよ
あんたの好きな豆腐料理いっぱい覚えるよ味付けの好みだって言わなくても分かるようになってやる書斎の掃除だってしてやるし着物の着付けだってしてやるしそうやって生きていきたいんだよ!
「…ジェ……ド……」
か細く、その唇から生まれた名前は、誰にも拾われる事はなく、空に流れた。
太陽は沈み、灼けるような橙の空は遠く遠くで、静かにその存在を消していった。










(なかないで)







「泣かないで下さい、ガイ」
「やだな、泣いてないよ。何言ってんだか旦那は、はは」
ジェイドの腕の中、ガイはそう言いながら目元を拭った。手の甲がびっしょり濡れたが、笑っていた。
「旦那ぁ、俺さ、あんたと一緒にいたいなぁ」
「もう、いるじゃないですか」
「うん…うん」
「ガイ」
「ふふ、何?」
ガイは笑っていた。ジェイドの温かな腕の中で。
ガイは泣いていた。ジェイドの温かな腕の中で。



(ねぇガイ。どっちが本当の貴方だったんですか?)


「……どっちも…」

(どっちも?)

「あんたの腕の中は本当に居心地よくてさ…でもその時はまだ、旦那の気持ちが分からなかったから、つらかった。明日にはこの腕が別の誰かのものになるのかなぁ…なんて、考えてさ」

(成程ねぇ、馬鹿みたいですね)

「ははっ…本当、ばかだよな…俺」

(いいえ)








「私達が、です」




急に、現実味を持った声が頭上に降ってきた。
ガイがバッと顔を上げるが、その時にはもう、体がなにものかに絡み取られていた。きつくきつく押さえつけられて動かせない視界に映るのは、藍色の空と。
「同じ事を考えて踏み出せなかった臆病者、ですね」
やわらかな、くりいろ。
………ああ。
ガイは言葉もなく、温かく自分を捕らえるものに腕を伸ばした。

「遅くなってしまいましたが…
返事を聞きにきましたよ」

耳を擽る、震わすような、甘い声。
ガイは己の中に芽生えた揺るがない意志をもって、幻想ではないのかと震える弱気な心を、打ち消した。









「…はい……」








言葉を交わす間も惜しい程
たくさんたくさんキスをした
息をする間も惜しい程
たくさんたくさん囁いた
だいすき
だいすき
だいすきだよ

温かい腕、温かい体
もう二度と離さないと誓うから
どうかどうか消えないで
もう二度と離さないで

この、身焦がす程の愛情を

今度こそ、永遠にあなたのものにしてください。







旦那ぁ、口説いてくれるって言ったのに
すみません、上手い言葉が見つからなくて
あははっ、まぁ、許してやるよ



今、俺は世界で一番幸せだから。







その後

戦場に名を馳せた死霊使いの姿を見た者はいない

ねぇ知ってる?
死霊使いには想い人がいて、その人を連れて死者の国に帰ったんだって!

きっとその想い人を、死霊使いは自分のものにする為に殺しちゃったんだわ!

あら違うわ、亡くなった想い人を蘇らせる為に、死霊使いは死者の研究をしてたのよ

想い人が亡くなったのは、先の戦で死霊使いが死んでからだわ。後を追ったのよ!

ええーっ
可哀想ーっ
でも、ちょっとだけ素敵かも
お伽話みたいね

死霊使いの、恋、かぁ…




ある昼下がり。
街角で噂話をする娘達の後ろを金色の髪の青年が通り過ぎ、前方で杖をつき、微笑みながら青年を待つ赤眼の男に笑顔で追いついた所だった。








end


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