ジェイガイ

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「わーっ、キレイ!」
「ほんとだ、すっげーなぁ!」
歓声が上がった。その無垢な声を和やかに思いながら、ガイ自身も思わず感嘆の息を漏らした。
旅の途中、森に入って三日、一行は生い茂る木々の奥の開けた場所に、湖を発見した。それは大きな円を描くようにできた湖で、右側にせり上がった岩が丁度湖を半分に分けるような形になっている。水は陽光を一身に受け、きらきらと輝き透き通っている。ただ岩でできた水場だというのに、何ともうつくしい光景だった。
「ねっねっ、ちょっとここで休んでいこうよ!」
アニスの提案に難色を示す者などいるはずもなく、パーティー最年長の軍人が頷くやいなや、子供達ははしゃいで湖へ駆けだした。





「ガーイ!」
鍋に水を張って沸騰するのを待っていたら、己を呼ぶ声が聞こえてきた。顔を上げると、ルークが湖の中からぶんぶん手を振っている。アニスとナタリアと三人で水のかけ合いをしていたせいで、頭からびしょ濡れ。あーあ、まぁ、天気もいいし、すぐ乾くだろ。ガイは右手を上げてルークに返事をした。
「三人とも、楽しそうね」
ティアが野菜を洗って持ってきてくれた。その視線はじっと湖に向けられている。
「ありがとう。ティアも混じっておいで。食事の用意は俺がやっとくから」
「えっ? わ、私は…」
妙な所で意地っ張りなティアの背中を押して、自分は彼女が持ってきてくれた野菜を料理していく。
数分もしない内に、湖の中から聞こえてくる笑い声は四人分になった。まったく微笑ましいな。ガイは幸せな気分だった。天気が良くて、心地良い自然に囲まれて、愛する者達の笑い声を聞きながら、食事の用意ができる。こんなに幸せな事が他にあるだろうか。
「まったく無邪気なものです」
料理するガイの隣に、いつの間にか寄り添うように立っていた男が言った。
「俺は、こういうの好きだな」
「でしょうねぇ。顔が緩んでます」
「小言言わなきゃ気が済まないのか?」
「性分ですから」
思わず吹き出してしまう。こんな旦那を微笑ましいと思うのは欲目かな? その判断ができない時点で、ちょっと終わってる気もするが。
「旦那、野菜の皮剥いてくれよ」
「おや、ティアには遊んできていいと言ったのに、私は雑用ですか?」
「旦那は別。手伝って」
少しだけねだるような言い方になってしまったのは、心が解けているからだろうか。ガイはジェイドを見上げて、珍しく子供のような顔で微笑んだ。




静寂の闇が辺りを支配した頃、ガイはそっと眠っている皆から離れた。
向かった先は、湖。
昼間子供達で賑わった水面が、今は静かに月の光を跳ね返している。
ガイは岩陰にそっと体を隠すと、するりと腰の帯を解いた。
ぱさっと帯を落とし、刀も地面に横たえる。次いで、手袋を取る。とさとさとそれを地面に放り、ベストの前を開け、肩を抜く。ぱさり。シャツのボタンを外すと、晒された肌が冷えた空気にふるりと震える。寒いかなと、とりあえずシャツは羽織ったまま、ブーツを脱ぐ為地面に腰を下ろす。ふわり、と草の匂いが鼻腔をくすぐった。ガイは視線を上げた。目の前には水と、岩と、森と、月の光。ああ、何だか別の世界に迷い込んだような気分だ。
ブーツを脱いで立ち上がり、ちらりと周りに視線を走らせた後、スパッツに手をかける。
そうして裸になった足をそっと水面に触れさせた。波紋が広がる。冷たい――…。ガイは少し身を強張らせながらも、そうっと足を踏み入れる。するとちゃぷんと音を立て、湖はすんなりガイを受け入れた。
羽織っていたシャツを脱ぎ、チョーカーも外し、生まれたままの姿で、湖の中央へと歩く。
触れた時こそ侵入を拒むかのような冷たさに感じたが、入ってしまえば温かさすら感じる。不思議なものだ。ちゃぷ、ちゃぷ、水を掻き分ける音だけが、鼓膜に触れる。腰まで湖に浸る所まで来て、足を止めた。
両手に水をすくってみると、手の中に月が映っていた。月そのものをすくったみたいに手の中で光が揺らめいている。ああ、なんて……
ガイは光る水をそっと湖に返し、少し迷った後、ざぶんっと湖の中に潜った。湖を泳いでみたいとも思ったが、冷たくてすぐに水面から顔を出してしまった。手で顔を拭う。濡れた体に、夜の風は冷たい。
と―――…
パシャンッ、と水音が上がった。ぎくりとした。自分が立てた音ではない。誰だ―――ガイはハッと後ろを振り返った。
青い軍服を纏った男が、いつの間にか湖に侵入している。じゃぶ、じゃぶ。長い栗色の髪で顔が隠れている。ガイはまるで幻を見ているような気分で、水の月を掻き分ける男を見ていた。じゃぶ…。
近付き過ぎた男にはっとして、ガイは男に背を向けた。逃げようとした脚はしかし戸惑って動かず、数瞬も経たぬ内にすっぽりと抱きしめられてしまった。
「こんな夜更けに…何をしているんですか?」
「………っ」
ガイはどうしようもなく全身が赤くなるのを感じた。夜に、一人で、裸…で。見られてしまったなんて。
「…み、水……浴びたくて…」
肩越しのジェイドの視線が気になって仕方がなかった。さりげなく腕で体を隠す。
「こんなに体を冷やして……いけませんねぇ」
「…!」
ジェイドの手が、体を這う。触れて欲しくない所に…触れる。パシャパシャとガイは暴れた。
「や…」
普段は自分より冷たい指が、じんわりと温かく、熱を運んでくる。まるで毒をもっているかのように、確実にガイの中に侵入し、酔わす。じわり、じわりと、……堕としていく。
「何だか、禁忌を犯している気分ですね」
「……え…?」
浮つく思考に滑り込んだ言葉を理解し損ねて、ガイが恐々と尋ね返す。肩越しに見えるジェイドの赤は、どこかうっとりしたような光を湛えている。
「草木も眠る夜深く、その刻だけに姿を見せる湖の精を、捕まえた気分です」
グッと、ガイを捕らえる腕に、愛おしそうに力が篭もる。ガイの心臓がどくんと跳ねた。
「綺麗ですよ、ガイ」
耳の中に直接注ぎ込むように囁かれて、ぞくぞくと震える。それは歓喜の震えに他ならなかった。
「じゃあ……」
息を乱しながら、ガイも言った。
「あんたは……さしずめ、森に迷い込んだ先で精霊に魅せられた、人間の男……」
ジェイドが少しだけ目を丸くする。ふふ、びっくりしてる。すうっ…と、ガイは背後のジェイドの頬に手を当てる。
「可愛いよ、旦那…」
にっこりと微笑んで、それが自然の流れであるかのように目を閉じる。すぐに、どちらともなく唇が重ねられた。









「…ガイ。そろそろ起きて下さい」
控えめにかけられた言葉にはっと目を覚ます。ジェイドの腕の中に収まっていた体がくたりと重い。辺りはすでに朝靄に包まれて白く明るくなっているのが意識しなくても分かった。ずっと触れていたはずのジェイドの軍服も自分が覚えているより乾いている。
「お、俺……寝てたのか…」
「ええ、ぐっすりと」
「ごめん……」
「いえいえ」
ジェイドは笑って許してくれたけど、ガイはちょっと落ち込んだ。火の番を一緒にしようと昨晩言ったのは自分なのに。それに―――…
「さ、ガイ。そろそろ皆が起き出す頃です。私達も」
自分の背に回されているジェイドの手は、もうすぐにでも離れてしまうだろう。そうだ。皆にこんな、こっそり二人でくっついて寝てる所なんて見せる訳には。でも。
「ガイ?」
ぎゅうっとガイはジェイドの軍服を掴んだ。嫌だ。せっかく、甘えたくなっているのに。
これは、きっと湖のせい。きっと今は、あの神秘的なまでに美しい光景を目の前にしたおかげで、自分の心を偽る事ができなくなっているんだ。今だけだ、こんな素直に、甘える事ができるのは。ここを離れたら、街に着いたら、俺はきっとまた意地を張ってしまう―――甘えられなくなる―――畜生、何で俺は昨日寝ちまったんだ。いっぱい甘えるチャンスだったのに。
「……ガイ」
ぽん、とジェイドの手が頭に置かれる。なでなでと、あやすみたいに撫でられる。ああ、きっと俺が考えてる事バレてるんだ。ガイはさらにジェイドの胸に、自分の顔を押し付けた。
「また、いつかここに来ましょうか」
頭上でそっと、言葉が囁かれる。
「――…え…?」
優しく心を解すようなその響きに顔を上げると、ジェイドがにっこりと微笑んだ。そのあまりの温かさが意外すぎて、目を丸くする。旦那がこんなに優しく笑うの、初めて見る…。
あ、ああ、もしかして。
これも湖の効果―――かな?
そう思い当たって、落ち込んで引き縛られていた唇が思わず、ふにゃりと弛んでしまった。
「二人で、…ね?」
「……うん」
くすくす、笑い合いながら、嬉しいよと伝える為にキスをした。何度も、何度も。
名残惜しみながら離した唇を、ガイはそっと撫でる。そしてきゅっとその指を握りしめると、朝を迎えて花がその身を咲かせるように、ふんわりと笑った。
「リクエストくらい、最後に聞いてやろうかな。朝飯は何がいい? 旦那」
「そうですねぇ……」
そんな風に密やかに恋人達が話すのを、靄に包まれた湖だけが聞いていた。
彼らへのささやかな声援のように、木々の一つから舞った花が一輪、湖に落ちて、咲いた。






end


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