ジェイガイ

□幸福感
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ファーストキスはレモン味、と。
なんだか聞いたような聞かないような、言葉。

「何でそんな言葉が生まれたんだろうな」
「さぁ……」
「そんな酸っぱいキスはごめんだな俺は」
「ガイ。貴方、そんな事話題にしない方がいいですよ」
「え?」
「未経験、なのがバレバレです」
強調されて、かつ語尾はハートマークでもつきそうなほど茶化され、ガイはぼふっと顔を赤くした。
「べ、べべべつに、こんな事いつも話題にしてる訳じゃないっっ! ただ、ただ…ふと、思い出しただけだ……」
「やれやれそんなに赤くなって、初々しいというかベタベタですねぇ。いじり甲斐がありそうです」
「いじんな、アホ、こっち見んな! いいから調合の続きやれよ!」
「はいはい」
恥ずかしさをごまかすために喚き散らしてしまい、ガイはまるで子供のような言動をしてしまった事に小さくなる。ジェイドはくすくすと大人びた笑いをこぼして、やりかけの薬の調合にまた手を動かし始める。その横で、椅子に逆を向いて腰掛けた状態のガイは、背もたれの部分を抱くように組んだ両腕の上に顔を乗せ、しばらく伏せていた。が、やがてもそもそと腕に顎を乗せて、また先と同じようにジェイドを眺め始めた。
ジェイドが手にしているのはウイルスボトルだ。市販のそれでもジェイドがちょっと手を加えれば、本格的な風邪薬にもなるし強壮剤にもなる。こういう知識は覚えておくと役に立つかもしれない。丁度いい機会だ。俺もジェイドに調合の仕方を教わっておくか。
そう思って口を開いたのに、出てきたのは何故か別の言葉で。
「あんたは、…、…あるんだろう?」
「……………」
じっ、とジェイドの横顔を見つめながら聞いた。目線は無意識に唇を捉えてしまう。綺麗な唇。
(旦那って本当、インチキみたいに整った顔してるよな………)
そんな事を考えていたら、赤い瞳がいきなりちらっとこちらに動いて、どきっとした。お見事、と言えるほどのいやなタイミング。まさか心の内を読まれたりはしないだろうが、濁りのない、まるで鮮血のような色をした瞳は、すべてを見通す力がありそうで。
(心の内なんて読まれたら、旦那とは顔合わせられないなー…)
溢れる想いにいつも溺れそうな自分を知られたら、恥ずかしくて死ねるかも。そう思った。今だって、苦しい。赤の瞳が自分を捉える。それだけで呼吸だってろくにできない。
「試してみましょうか」
「え?」
ぎし、と音が上がり、ジェイドが立ち上がる。そしてガイが返事をする頃にはもう、青の軍服がガイの眼前にあった。
(あ)
反応する前に、ジェイドの腕が自分の肩へするりと回る。指を首の後ろで組まれて……、これではもう、椅子から立ち上がる事もできない。
「ジェイド…」
「キス、してみましょうか。―――ガイ」
どくん
肌が震える。
息が詰まる。
熱が昇る。
抱き締める距離と同じほど近付いているのに、触れない肌が、じりじり灼ける。
「ジェ……ド…」
口をついた名前はかすれ、戸惑いか、求めているのか、判らない。
溺れてしまう。
どうすることも、できなくなる。
ジェイドの瞳がゆっくり降りてくる。反射的に顎が上がる。真上の眩しい照明が、ジェイドの向こうに隠れてしまう。
「あ………ぁ」
焦りが走って、思わず唇が開く。
腰を折るジェイドの軍服が衣擦れの音を立てる。
近付く。
もう、すぐ、もう―――――














――――もう、すぐ、そこに。
ジェイドは表情を変えぬまま、迷いの生まれた心に少しだけ首を傾げた。
おかしい。
こんな予定ではなかったのだけれど。
この、歳の割に落ち着きがあり、無理のないかつそこそこの高さの視点から物事を見ているこの青年。
そんな彼の、唯一の弱点とも言える、色事。
幼少期から女性恐怖症を抱える彼は、恋心、とやらを抱いた事がないどころか、まともに女性の手を握った経験もないようだ。
まして、キス。きっと彼にとっては未知の領域で、しかし恐怖症以外は健康な男子、興味だってあるに違いない。だから彼からその話題が出たところで、目を丸くしたりするはずもない。
だが。
だが彼が口にしたその話題は、よりによって『ファーストキスはレモン味』ときた。なんだ。稚拙というか少女チックというか、何とも夢見がちな話題を選んできたものだ。いつもの目線の高さは、どこへ行ってしまった?
――――彼は、時折こんな年不相応な一面を見せる。
それらは早すぎる時期に保護を失い、急に大人にならなければならなかった彼に残った、アンバランスな幼さだ。
音機関に呆れるほどはしゃいでみせたり、些細な口遊びに引っ掛かったり。
そんな風に、本来の自分自身なのだろう一面をぽろっとさらけてしまった時の彼は、あたたかく(生ぬるく)見守ってやりたくなるのと同時に、自分の悪戯心をたいへんくすぐってくれる。
今も。真面目な顔してキスがレモン味か気になると言う彼にくすぐられて、少しからかってやろうという気持ちになった。
彼の体を絡め取り動けなくして近付いて。唇に触れる距離まで来たら、進路変更して頬に口付けを落としてやろうと思った。
彼はきっと素晴らしいリアクションを起こしてくれるに違いない。顔を赤くしながら馬鹿馬鹿と喚き、頬を乱暴にこすって、ひょっとしたら椅子から立ち上がった拍子に転んでくれたりするかもしれない。そんな慌てぶりを見るのが大好きだったので、今回もいつもの調子で罠を仕掛けてみた。
けど。
どうするか、とジェイドは思った。
予定ではこの後頬へ口付けるつもりだ。
だけれど………

緊張した肌。
赤みがかった頬。
無意識にか開かれた唇。覗く舌。
己を捉える青。

…首を、傾げる。
迷っている。
――――口付けたいと思っている。
このまま、惚けたような彼の唇へ。
誘うように開かれた彼の唇へ。
どうしたというのだ。
ただからかいたいだけだったのに。
間近で見すぎた所為なのか。
からかいはつられるように衝動へと姿を変えた。
どうする。
もう迷うほどの距離もない。
どうする。
どう、する――――?















綺麗な、唇。

(…や、ば、ぃっ…)

無意識に、ずっと見ていた。
横顔のライン、少しつんとした唇。

(………息が、もた、なぃ…っ)

考えてみれば変だった。
やけにジェイドを見てしまうし、頭の中はぼーっとするし、せっかく僅かながらとはいえ働いてくれた理性が薬の調合を教わろうという話題を思いついたにも関わらず、それを無視してしまった口先も。
いやそもそも、最初の話題。
『ファーストキスはレモン味』
あれを話してしまった時点で、もう何かが変だったんだ。

(ま、さか………、そんな、馬鹿な、こと…)

認めたくない。
だけど。
長いような、短いような、時間の流れも分からなくなるような感覚の、後わり。
酸素を求めて思わず喘いだ唇に施される、まじないのような指先の愛撫。
操られるみたいに視線を動かした先に映るのは、たった今、触れ心地を知ったばかりの―――唇。
それを見てしまったら、もう、認めたくないなんて、言えない。




(――――俺はジェイドに、キスを求めてた、のか………)














「それで…ガイ? いかがでしたか」
「…」
「ファーストキスは、レモン味でしたか?」
「……」
「もう一度してみますか。一回目と味が違うかもしれませんよ」
「…………」
「今度はちゃんと目を瞑ってください」
「…ぅ」
「さあ」










答え合わせを繰り返した。
未だジェイドの腕が自分を捕まえたまま解かれないから逃れようが無い、……と言うのは、言い訳かもしれない。
顔が熱くて、体が熱くて、ほんの少し焦れったい。
だけど椅子の上で組んだ腕を解いてジェイドの体に添わせたら、その焦れったさも、消えて。

「ガイ…? 私に、答えを聞かせてくださいよ」
「……うるさい…そんな事…もう…」
「…ああ…たくさん試したから最初の味が分からなくなっちゃいましたか? それは困りましたね。もう確かめる術がありませんから…」
「ん……」

しゃべるのは片手間。ほんとはキスに、夢中。

これは、なんだろう。
ジェイドに触れて触れられている、ただそれだけでこんなにも満ち足りた気持ちになる。
瞳を開けるのもけだるいような。
瞳を開けてジェイドを見つめていたいような。

捕まえられている腕を解かれず、
触れている腕を許されて、

ずっとずっとこのままでいたい。

まるで陽光に囲まれたように
不思議とおだやかで、あたたかい、
この気持ちを、なんて言うんだろう。







end


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