ジェイガイ

□長い昼
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ぎしり、とベッドスプリングが鳴り、かかっていた二つ分の負荷が移動したことを示した。ベッドの上に腰掛けていた二人が唇を合わせたのだ。
お互いベッドの側面に背中を向ける形で座っていた。一人は剣の手入れをして、一人は読書をしていた。宿屋の狭い一室にいて、それでも声を掛けあうこともなく、それぞれが自分の手元に集中していた。はずだった。
外はまだ正午を過ぎた頃だった。窓からは光がまばゆいほどにこぼれて、街のメインストリートに面する場所に位置するこの部屋には街の喧騒も届いている。子供のはしゃぐ声が一際大きく二人の耳に届いた。それでも二人は目を開けることもなく、ただ角度を変えた。
きっかけは何だったか。考えたけれど思い出せないので考えるのをやめた。やがて剣を持っていた人物が剣を鞘へ納めた。読書をしていた人物も膝の上の本を閉じた。再びスプリングが鳴った。
「天気がいいな。出かけるか」
「私はこの本を読んでしまいたいので結構です。貴方も今の内に剣の手入れをすませてしまうつもりなのでしょう。夜のお楽しみのために」
ぎし、ぎし。二人共が体勢を変え、ベッドに乗る。向かい合う形で。
「ジェイドと飲みに行くなんて、グランコクマを発って以来だな」
「そうですね」
「ここはグランコクマにも劣らない水の綺麗な街なんだ。きっと酒もいいのが揃ってるぜ」
「さすが、知識が豊富ですねぇ、ガイ。卓上旅行が趣味なだけはある」
「まあ、ね」
言葉の終わりにはもう唇が塞がっていた。先程の、振り返るような姿勢でのものとは違って、楽にそうすることができた。
剣を離した手が自然と相手の手を握っていたことに気付いて、ガイはさりげなく手を離す。理由をつけるため、グローブを外した。ジェイドはそれについては何も言わず、ただガラスの奥の目を細めて、「ガイ、私も」と。
「そのくらい自分でやってくれ」
「すみません、他が忙しいので」
「そんなの俺だって同じだ」
「では貴方は手元に集中していていいですよ」
「うーん…地味に脱がしにくいんだよなぁこれ…」
はいどうぞ、と片手を差し出される。二の腕まで届く厚手のグローブを一瞥し、ガイはしぶしぶ手をかける。ジェイドはもう片方の手をガイの後頭部へ回し、ぐっと引き寄せて、キスを再開した。
しばらくただ目を閉じていたガイだけれど、もそもそとジェイドの手袋を引っ張り始める。指の先を引っ張って隙間を作り、そこからぐっと引く。ジェイドはぴんと腕を伸ばしていてくれればいいのに、手を握ってきたり、口付けの形を変えるついでにちらと腕を動かしてみたりと邪魔してくる。それが妙に可愛げある動きなのがイラッとくる。無視して思い切り引っ張ってやるとずるりと脱げて、白い手が現れた。
「乱暴はやめてください」
「それじゃ大人しくしててくれるか」
グローブのしわを軽く伸ばしてたたみ、ジェイドの向こう、枕元へそれを放った。
お互いの手を入れ替える。ガイは再びグローブを引っ張り、ジェイドはガイの頬に手を寄せた。
ジェイドの神経質そうな指先で頬にすっと線を引かれる。ガイは視線だけをグローブへと下げた。赤い瞳がとても近い所にある。それが気恥ずかしかったからだけれど、顔を背けるのも癪だった。今度は爪で頬を掻かれた。触れるか触れないかの際どい感覚に、ガイは思わず目を閉じた。すぐに開けた。
手袋をずるずる引っ張る。耳を揉まれる。耳殻にもぴっと爪を掠められ、ガイはジェイドを睨んだが、それと同じくしてジェイドは唇を重ねた。下唇を挟まれて何も言えなくなった。
深くなりつつある口付けに体の緊張が増していた。べつに緊張するほど慣れがない訳ではないが、この男に主導権を持たれると、時々予想できないことが起こったりする。しかも今、ガイは両手がふさがっている。これはなんとなく落ち着かない。さっさと脱がしてしまおうと、ジェイドに肘を伸ばすように促しグローブを引くが、ジェイドは非協力的だ。見ると、軽く肘を曲げているくせに、掌がひらひらと動いている。早く早くー。そんな声が聞こえてきそうな手を、ガイはべしっと叩いた。
「痛いですねー」
「!」
離れた唇が言うや否や、白い指が顎にかかり、横を向かされる。はっとしたけれど、何もできなかった。かぷりと耳たぶに歯を立てられた。
「おい…っ」
ガイは抗議の声を荒げかけたが、すぐ近くで人の声がして、反射的に黙った。この宿を利用している別の客だろう。楽しそうに話をする声が部屋の外の廊下を通り過ぎて行った。
それが完全に遠のくまでガイは慎重に待った。しん、と。再び先程までの空間が戻ってくる。
「あ!」
べろり、と耳の裏を舐められ、今度こそガイは怒ってジェイドを払いのけた。
「ふざけるなよ!」
「別にふざけていませんよ」
「どこがだ。わざとだろさっきから」
「まあ、わざとですねえ」
カチン、と音でも聞こえたかと思った。
「…もういい」
ニヤニヤと笑みを浮かべるジェイドを、ガイは突き飛ばした。ジェイドの栗色の髪がやや、シーツに散らばる。やや、というのは、その大部分は、ガイの白い袖に収まっていたからだ。
ジェイドの首に腕を回し、青い軍服に完全に体を重ねて、ガイはジェイドにキスをした。青の瞳も赤の瞳もそこにはなく。ただただ、キスをした。
唇を食んだ。何度も。そうしているうちにジェイドの脱がせた方の手がガイの後頭部に触れる。髪に指を差し込まれ、撫でるように動かされれば、それだけでガイの機嫌はすっかり元通りだ。もっともキスをした時点で怒りなんて忘れていたので、実際はもっと良くなっているのだが。
「簡単にごまかせると思ったら大間違いだぜ」
「おや、何か要求でもおありですか?」
「一杯…、いや二杯、奢りで」
「お金ですか」
「音機関の新しいパーツが欲しくてさ」
「二杯で足りますか?」
「うーん…」
考え始めた所で、廊下から再び足音が聞こえてきた。 ガイははっとして身を起こした。今度は複数のグループだろう。足早に過ぎる音と雑談が交差する。ガイはジェイドから退き、ベッド脇に腰を下ろした。「おや」と言いながら、ジェイドも体を起こす。
「とびっきりのおねだりが聞けるかと思ったんですが」
「…もう、いい。何だよ、今のは」
今の、一連のやり取りを思い出して赤面するガイは片手で顔を隠しつつ、壁に立てかけていた剣を取る。
「酒場に行く前に酔いそうだ」
「そうですね。お楽しみはディナーの後で、といきましょうか」
ジェイドは含み笑い、足をベッドから下ろし、片方だけ残っていた手袋も脱いでしまうと、本を手に取った。
そして再び部屋に訪れるのは、剣の手入れをする音と、ページをめくる音だけとなる。陽はまだ沈みだす気配はない。






end


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