その他

□特別な夜に甘く溶けて
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「ガイー、あそびにいってくる!」
「ああ、待て待て。今日寒いからマフラー巻いてけ」
「いらねー! じゃーな!」
「だめだって! こらルーク待て!」
どたたたた、と家の中を騒がしく駆け回る音。かつて一人暮らしをしていた時には無縁だったその音にもはや慣れを感じながら、ジェイドは仕事に出掛ける準備を整えて玄関へ向かっていた。騒動の発信源であるルークはガイがマフラーを取りに行っている間にジェイドの横に駆けてきたが、靴を履くのにもたついている間にガイに追いつかれた。あーつかまったーちくしょーと大きな声を出してはいるが本気で逃げる気はないのだ、マフラーでふんわり包まれるのを拒んだりはしない。
「今日は寒いからな。風邪ひくなよ」
「だいじょーぶだよ。いってきまーす!」
どたたたた、とけたたましく駆け出していった小さな怪獣。その背中に「こけんなよー!」と投げかけた大きな怪獣には「うん!」と返事が放られる。怪獣達の間に血のつながりはなかったが、二人の関係はどの親子よりも親子らしかった。
「ルークの奴ほんとに大丈夫か…?」
「怪獣のお守りは大変ですね」
「悪いなうるさくして。あ、マンションの人に迷惑だったかな」
「いいえ。見てて微笑ましいそうですよ」
本当に、マンションの住民の彼らを見る目はほのぼのしている。ジェイドが自宅に二人を住まわせた当初はあまりの騒がしさに苦情のひとつも来るかもしれないと思ったが、杞憂だった。ガイの人当たりの良さが好評な事もあるし、意外な事にルークはガイの言い付けをよく守る。ガイが静かにと人差し指を立てればルークは静かになる。まあ、ほんの5分持つかどうかでまた騒がしくなるのだが。
ーーいや。ただ自分が、静かな日常に慣れているだけで、目くじらを立てるほどはうるさくないのかもしれない。分からない。だけど二人を煩わしいとは感じない。だから何も悪い事はない。
………と。
どたたたた、とまた戻ってくる足音。ガイもそれに気付いて、ひょこっと玄関から身を乗り出した。
「どーした? 忘れ物か?」
「ガイ! きょうチョコのひ!」
「ああ、そうだったな。今年は何作りましょうかね?」
「ケーキ! しろくてまるいやつのっけて!」
「はいよ。クリームはチョコでいいのか?」
「うん! それ!」
「了解」
「じゃーな、それだけ!」
「おう。走らないで、静かに行けー」
「んー!」
てってっ、と今度は静かに走っていくルークは今度こそエレベーターに乗って行ってしまった。嵐が去ったようだ。ガイもふっと息をついた。
「そっかそっか、今日はバレンタインだったな。忘れてた」
「貴方ルークに作ってあげてるんですか?」
「まあな」
「健全な男子がチョコをあげる側でしかも相手がお子さんとは、とってもラブラブなんですねぇ」
「いいんだよ。あいつ喜ぶんだから」
揶揄をしても、のれんに腕押しの感覚。ガイは変わっている。まだ大学生だというのに他人の子供を引き取って育てている。それはどうしたって普通の学生生活と、友人とだって、一線を引いた付き合いとなってしまうだろうに、ガイはそれを嫌だ不満だ面倒だとは砂の欠片ほども思っていないようだ。
「あ、旦那」
ガイの声が、今度はジェイドに向く。手が背中に当てられて、ジェイドは首を傾けた。
「コートに髪の毛ついてる」
「ああ、すみません」
「いや、これはルークの髪だよ。ルークの奴、旦那のコートの手触りが気に入ってて、よく遊んでんだ……よしいいぜ」
そう言えばそんな光景を何度か目にしていた気がする。ガイの手は最後に軽く払う仕草をして離れた。
「ありがとうございます」
「いや、ルークにはよく言っとくよ。休みだっていうのに今日も仕事かい。遅くなるのか?」
「いいえ、なるべく早く帰りますよ。でないと私の分のケーキがなくなっちゃいますからね」
「はは。大丈夫だよ。ルークはあんたの分残しとくさ。ルークだってちゃんと旦那の事気に入ってるんだから」
「そのわりに、私には行ってきまーすがなかったんですけどね」
「はは…俺で遊ぶのに忙しかったんだよ」
身だしなみを整える為に床に置いていた鞄をガイがさっと取って手渡してくれる。ジェイドは表情を意識して変えないようにし、それを受け取った。本当に、彼は気が利くというか、何というか、……。
「行ってらっしゃい」
「…ええ、行ってきます」
ガイは笑ってジェイドを送り出した。









夕方。
仕事を一段落させたジェイドはちらと時計を見た。午後五時過ぎ。今から帰っても夕食にはまだ早い時分。どうせなら明日の仕事にすぐ取り掛かれるように軽くパソコン内を整理しておこうともう一度画面に向かい合おうとしたその時、携帯電話が振動し始めた。ガイからの電話だった。
「はい」
「あ、旦那? 今ちょっといいか?」
「ええ。どうかしましたか?」
「いや、たいした事じゃないんだが…今買い物に出てんだけどさ、アラザンがなくて」
「アラザン?」
「ケーキのトッピングに使う奴。白くて丸い」
「ああ」
「今日がバレンタインだからなのか、どこも売り切れてるんだ」
「トッピングなら、なくても作れるでしょう?」
「いや、ルークがあれ乗っけてくれって言ってたからなー」
「ああ……」
「三軒回ったけど全滅だよ、全部売り切れ」
「三軒も回ったんですか、貴方」
はぁ、と感心と呆れの混じった息が出る。
「で、旦那に頼みなんだけど、もし帰り道にスーパーでもあればちょっと寄ってみてもらえないか? 俺ももう少し探したいんだが、いい加減にしないと晩飯が遅くなるからな」
「…………」
まただ。ジェイドは黙った。ガイは不思議そうな声を出した。
「もしもし? 旦那?」
「ガイ……貴方は本当に、変わっていますね。と言うか、不思議な人です」
「え?」
「……いえ、何でもありません。分かりました。アラザンがあれば買って帰りますよ」
「あ、ああ、ありがとう、 助かるよ。仕事中にごめんな」
「いいえ」
ピッ、と電話を切る。ジェイドは少しの後にパソコンの電源も落とした。






確かに、ルークはそれが欲しいとガイに言っていたけれど、それは口からぽろっと出ただけの願いで深い意味がある訳ではないように思える。なのに彼はそのちっぽけな希望を叶えるために三軒も店を歩き回ったのか。夕食の材料を抱えたまま。重かっただろうに。大体そうまでしたのなら正直に売り切れだったとルークに言えばいいのだ。なのにわざわざジェイドにそれを託けた。しかも、帰り道にあればでいいから、と付け足して。彼は、いつも、おかしなくらい、やさしい。人に気を回す人だ。
職場からの帰り道、スーパーの一角、棚のほとんどが売り切れの菓子作りコーナーを眺めながら、ジェイドは考えていた。
アラザンのラックはやはり売り切れだった。ガイはこれをがっかりしながら見たのだろうか。三軒も店を渡り歩いたガイだ。恐らく店員を呼んで在庫はないかと聞いたり何たり最後の最後まで粘ったに違いない。大の男がバレンタインデーに。気恥ずかしくない訳がないだろうに。きっとその上でジェイドに電話をかけたのだ。一縷の望みをつないで。
その姿を想像しながら、ジェイドは携帯電話を取り出した。

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