その他

□家族のドア
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お父さん。

コンコン、と音がして、アニーははっと読んでいた小説から顔を上げる。
「アニー、まだ起きているのか」
「お父さん! おかえりなさい」
自室のドアが開く。明るい廊下の光を背負い、外套を纏ったままの父が、やわらかい顔で笑っている。
「本を読むのなら、そんな小さなランプの明かりだけでは目に悪いぞ」
「寝る前に少しだけのつもりだったの。でも面白くて、やめられなくなっちゃった」
「目が輝いているな。その分だと夜更かしはまだ終わらないのだろう」
部屋の照明が点けられ、アニーは舌を出したい気持ちで苦笑した。

お父さん。

「今日はお城に泊まらなくても大丈夫なの?」
「ああ。陛下の容体はお変わりないが、おまえをいつも家に一人残しておくのも心配だからね。今日の所は引き揚げさせてもらったんだ」
「お父さん…」
「アニー、いつもすまない。そうそう、今度のおまえの誕生日のプレゼントに何が欲しいかも聞かなきゃならんと思っていたんだ。何でも言ってごらん」
「あ…、わたし、欲しい参考書があるの」
「はは、誕生日に参考書とは。親として嬉しい気もするが、少しつまらなくもあるなあ」
「本当に欲しいのよ。お父さんの部屋にある医学書を読ませてもらってるけど、とても難しくて。あの本達の内容をしっかり吸収するには、それ以前の勉強からやらないと」
「感心するよ。それだけの向学心を摘むようなことはしない。勿論望みの本を買ってやろう。だがそれとこれとは別だ。医者志望ではなく、14になる娘としての欲しいものも、何か考えておきなさい」
くしゃりと頭に手を置かれる。いたわりの手だ。アニーは「子供扱いして」と口をふくらませ、喜びと照れを隠し、何がいいかなと思考を巡らせた。

お父さん。

「では、お父さんはもう休むからね」
「うん、わたしももう寝ようかな。お父さん、お疲れ様。おやすみなさい」
「おやすみ、アニー」

お父さんが殺された。










ベッドに喪服の体を投げ出してどれほどの時が経ったのかアニーはとうに分からなくなっていた。
人形のように開かれたままの瞳は、ドアを見つめている。ここは自室。家の内側。そのドアを叩けるのはたった一人だけ。
アニーはその音を待っていなかった。ただ深く、深く、理解していた。
その音が聞こえることはいつまでもない。
あのドアが開かれることは、もう、永遠にない。











コン
コン

はっと、アニーは医学書から顔を上げた。
「アニー、まだ起きているか」
「はい、今行きます」
アニーは本を閉じ、ぱたぱたと駆けた。声で誰だかは分かっていたので、警戒することなく、宿部屋のドアを開ける。
「こんな時間に、どうしたんですか? ヴェイグさん」
「ティトレイとマオが、腹が痛いと言っていて…」
「どうせ」
低い声に振り返る。同室のヒルダが寝酒を嗜みながら指摘する。
「夕飯食べ過ぎて苦しい、とか言ってるんでしょ」
「そうだ。今はユージーンが見ている」
「もう、だから程々にするように言ったのに。今、お腹のおくすりを持ってきますね」
アニーは薬箱から薬剤を選び取り、ヴェイグに渡す。
「これを飲ませてください。痛みが治まらないようなら、夜中でもかまわないので、知らせてくださいね」
「分かった。遅くにすまなかった」
「いいえ。おやすみなさい、ヴェイグさん」
「ああ。…おやすみ」
ヴェイグは隣の部屋へ戻っていった。そちらのドアが開いた際、大きな、少し大げさな声が、腹が痛い、苦しい、と騒いでいるのが聞こえ、そのにぎやかさに大丈夫そうだと息をつき、アニーもドアを閉める。
「具合が悪くてもうるさいのね」
「ほんとですよ」
ヒルダと二人、呆れてみせる。
「でも、なんだか心地がいいわ」
それをつぶやいたのはアガーテだった。眠るために金色の髪を編むアガーテは、自分が言葉を発したことに慌てたようにしながらも、すぐに顔をほころばせる。
「わたくしがこんなことを言えた立場ではないですが、貴方方の関係性をそう感じて、つい口に出してしまいました」
「わたし達の関係性…?」
アガーテの言葉を受けた時、ふとアニーの頭をよぎったものがあった。
それはとあるドア。旅をする以前に父と住んでいた家の自室のものだった。今や心の中にだけ存在する、父の死と共に閉じられたドア。永遠に開き手を失ったあのドアが、いつの間にか、開いている。
アニーは目を見開き、ばっと胸に片手を当てた。鼓動する胸の奥を、開いたドアを見つめた。するとひょっこり、あのやわらかい笑顔が向こうから覗いた気がして、息を飲んだ。

お父さん……





アニーは目を閉じる。
不思議に思ったヒルダが声をかけても首を振り、ドアノブに手をかけて長く長く、微笑みを浮かべながら佇んでいた。




end

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