書物

□"愛して下さい"
2ページ/60ページ

「お前みたいな暴力女、付き合いきれねぇ…がはっ」
言いかけた男子生徒が横腹を押さえてうずくまる。私がその横腹に蹴り込んでいたから。
「私も、あんたなんか願い下げよ」
ふんっと鼻を鳴らして立ち去ろうとすると、窓が開き、白いカーテンが逃亡でもするように、外に飛び出しはためく。
「こら、俺の仕事を増やしてくれるなよ。羽山幸子」
"幸子〈さちこ〉"つくづく私に似合わない名前だと思う。幸せじゃないから。
「暇つぶし作ってあげてるだけよ、明智典成」
明智典成〈あけちのりしげ〉はこの学校の保健医、兼、相談員の仕事をしていた。
いつもニコニコ笑顔で、女子生徒からは、のりちゃん、と呼ばれ、慣れ親しまれていた。
「先生、こいつ死んじゃうんじゃない?」
私が未だに、うずくまる生徒を指差すと、典成は、ああ、と冷たい目で見つめてから笑顔で笑う。
「女の子の蹴りじゃ、死には、しないよ、それよりは、お茶でも飲みながら"愛"について語りませんか?」
ほら来た、女なら、誰にでも、かけている言葉。軽く、意味のない"愛"。でも、私にはちょうど良かった。"愛"に、ある重さなんか知らなかったから。重くても、軽くても、対して自分に変化はなかったから。
窓から保健室に入って、靴を脱ぐ。昇降口から入りなさい。先生らしい言葉をいう典成を無視して、先生用のちょっとだけ高そうな、左右に肘掛けのある椅子に、膝を抱えて体育座りで座る。
「なに飲む?」
いつもながら保健室なのに喫茶店並みな品揃えには、呆れて、ため息しか出ない。
「ココア」
典成は、はいはい、と軽く頷くと甘いココアを入れてくれる。
「クッキーは?」
「じゃあ一個だけ…」
典成は一口サイズのクッキーを私の口に入れて、口付けをしようと顔を近づけてくる。
「先生、セクハラ」
ギリギリで唇と唇の間に手を挟み止める。
典成は、やっぱり?と笑うと、口付けの代わりにマグカップを私の唇に当てる。猫舌な私を気遣って飲みやすい温度だったから、熱くはなかったけれど、子供扱いされてるみたいで、微かに苛立つ。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ