緋月宮の女官〜春告げ鳥の唄〜
□第二章
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「起きて下さい、陶嘉(とうか)様」
陶嘉は掛け布の中に包まったままで、身動きもしない。
「陶嘉様、今日は終日(ひねもす)の宴なんでしょう」
だから、起きたくないんじゃない。
ゆさゆさと揺り起こしてくる杏茲(あんし)を無視して、狸寝入りを決め込むと、なかなか敵も、しぶとい。
「起きてらっしゃるのは、知っているんですよ!いつまでむくれているんですか」
がばり、と起き上った陶嘉が彼女を睨みつける。
「別にむくれてなんか、いないわよ」
「そうですか。それなら、早く準備致しましょう」
杏茲がにっこりと微笑みながら、有無を言わせずに、着替えをずいと押しつけてくる。
先日やっとのことで仕上げた、あの衣装だ。
最近心なしか、杏茲の押しが、強くなった風に感じるのは、気のせいかしら。
陶嘉は冷ややかな溜め水をすくい上げて、顔を洗い終えると、肌理(きめ)の荒い麻布を顔へと、押し当てた。
渋々ながら、染衣を袖に通し、裳を身に付ける。
「何だか、変な匂いがするわ」
甘い果実の様な香りに、眉をひそめてみせると、主人の長い黒髪を結い上げている杏茲が、ああと呟き、くすくすと肩を揺らしてみせた。
「桃髪油ですよ。纓珞(ようらく)様が昨日、内緒で届けにいらしたんです。『どうせあの人には、直接渡そうとしても無駄だろうから』って。陶嘉様の仰る通りですね、とてもお優しそうな方でした」
纓珞の、仕業なのね。
後で彼女の顔を見たら開口一番に文句を言わなければ。
「何を、不満そうな顔をなさっているんです。こんなに高価で良い香りの整髪油なんて、そうは使えませんよ。よく御礼を申し上げておいて下さいね!はい、仕上がりました」
杏茲が、間伐入れずに後ろから鏡を差し出してきた為、嫌でもうんざりとした、自分の顔を覗き込む羽目になった。
額と切れ長の大きな眼元に施された朱は、最近若い女性たちの間で流行っている文様だ。
杏茲は、そこら辺もきちんと、研究しているらしい。
への字に歪められた唇の上には、まだ乾き切っていない紅が、鮮やかに濡れ輝き、陶嘉の表情に華美さを添えている。
複雑に結い上げられた髪には、銀細工の小さな櫛と、知らない薄紅の花が一輪飾られていた。
今朝摘んできたばかりなのだろう、まるで露を置いた様に、昨晩の雨を頂いている。