君の世界が終わる夜

□1.さいしょのよる
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都会の超高層マンションから見える夜景はあまりにも明るい。
どうして人は眠らないのだろう、とメアリーは考えていた。
人から見れば憧れの超高級マンションからの夜景も、彼女にとっては家からの景色にすぎない。
大きな窓辺に座り頬杖をついて、夜の都会を見下ろしている。ちかちかと目に鬱陶しいネオンが浮かぶ街に、わらわら動く人影はよく見える。
もしかして皆も眠れないのかしらと思いながら窓を閉めた。
父はIT業界最大手の社長で、母は有名ジュエリーデザイナーという、指折りのお嬢様である。
ベッドへと向かい、そこに倒れ込む。その柔らかさと言ったらない。深くメアリーを受け入れる。静かすぎる。眠れない。世界の人々が起き続ける夜中、彼女も起きていた。
誰もが、世界屈指のお嬢様が柔らかいベッドの上で眠れずにいるなど思いもしない。
彼女はテディベアを引き寄せた。子供くらいの大きさで、お腹に顔を埋める。
あの子、今頃どこかしら。あの子に会った頃は、まだこんなに静かじゃなかったわ。リビングに集まってもっと、たくさんお話ししていたのに。いつから?忘れそうなくらい前からよ、こんなに冷たくなったのは。

窓のそばの机に写真が並んでいる。その一番後ろ、他のものに隠れたような写真があった。金色の目をした、黒い子猫である。可愛らしい女の子、小さい頃のメアリーが彼を抱いていた。
かたん、と静かな音をたててその写真が揺れた。
窓、閉めたのに。
彼女はテディベアから顔を上げた。
「キティ…」
あの子が、金色の目をした黒猫がテディベアの陰にいる。一歩、メアリーに近づいて頬をなめた。
「なに」
テディベアをどけて、彼女が笑う。
「おっきくなっちゃって」
最後に見たのは、まだ子猫の姿だった。
「今までどうしてたのよ」
差し出された綺麗な手をなめる。
「痩せすぎでも太りすぎでもないわ、ちゃんと食べていたみたいね」
またなめる。
「今何歳になるのかしら」
首を傾け、なめる。
「もうおじいさんよね。やだ、ずっとおんなじ返事じゃない」
また手をなめた彼に、メアリーは再び微笑んだ。彼は、動きを止めてじっと、金色の目を向ける。
「キティ」
撫でられると目を閉じて気持ち良さそうに、笑った顔をした。でも、思い出したように目を開いてベッドから飛び降りた。
「何?」
彼は鳴かずに彼女を見つめる。メアリーがベッドから下りるのを見て、扉を鼻でつつく。
「出たいの?」と、扉を開くと、彼は細くて白い足にほおずりをした。メアリーは思わず微笑む。

廊下に出た黒猫は、“おじいさん”ぶりを発揮せず、メアリーが付いてきていることを確認しながら、しっかりと歩いていく。彼の目指したのは広いリビングだった。
足を止めたメアリーを見上げ、また扉を鼻でつつく。踵を返したかった。でも、なぜか中に入りたかった。リビングに入りたいなんて何年ぶりに思っただろう、あんな静かな部屋のソファーに座りたいなんて。
メアリーはなんとも言えない顔をしていた。これから編む毛糸が絡まったのを前にしているような、そんな表情に近い。
嫌だ、でもほどきたい。
黒猫は鳴かなかった。何度も口を開いて今にも鳴きそうな顔をしていた。
「入りたいの?」
明確な返事など期待しなかったのに、彼は頷いた。
「あなたがいたとき、ここは楽しい部屋だったものね」
彼女は絡まった毛糸に手を伸ばすように、ドアノブをひねった。
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