novel?2

□愛故に疵となれば、花となる
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景吾様、お背中に傷が。

今しがた気付いたとばかりにワイシャツを脱ぐ手を止めた御尊顔は、初めて拝するものでした。

「あぁ、これは、いいんだ。
ふふ。むしろ、消えてほしくないものだからな。」

私の知らない表情で、私の知らない声音で話す景吾様は、今までの景吾様とは違う、存じ上げぬ殿方のようで。
そう、まるで、恋物語を覗いているようでした。





【愛故に疵となれば、花となる】


景吾様のお召しかえの補助という大役を賜った私の目に飛び込んできたのは、緊張を圧してなお声を発してしまうほどのお背中に広がる無数の赤い傷痕でした。
粗相のないよう気を引き締めていたはずの私が口にした言葉へも、勿体無くもご返答を下さる景吾様。いつもの凛々しいお声とは少し異なる、距離を詰めて下さるような自然な会話。

新米の私にも解りました。この傷は、愛しい方からの贈り物であると。
えぇ、あの御尊顔を拝せば誰だって解りますとも。
執務室でも、社員に指示を出される時でも、ましてやマスコミの前に立つ際の精悍なお顔立ちとも違う、甘くとも男らしく、慈しみに満ちたお顔。思わず相手を思って、私まで赤面してしまうほどでした。


「あら、僥倖だったわね。」

自分だけで抱えるには強過ぎる経験を、信頼しているメイド長に語ると、にっこり笑ってそう仰いました。

「景吾様は相手の方を、それはもう珠のように大切になさっているから、なかなか見せては下さらないの。
お恥ずかしいから隠してほしいとお相手に懇願されたのですって。そのお顔が大層可愛らしかったとの惚気付きでしたけれどね。

でも、私達のお仕えする景吾様は、そういった方なのよ。
あんなにも愛しい方がありながら、会社のこと、テニス界のことも同列に扱って下さる。
以前の景吾様は、どこか余裕がないような幼さも残されていたけれど、今はあなたも見ての通り。筆舌に尽くし難いほどの威厳に満ちて、同じだけの畏敬を抱かせるお方。
今の景吾様は、お相手があってこそのものなの。私達も、お相手に感謝しなくてはね。」

普段表情を変えることのないメイド長が、こんなにも語って下さるとは意外でした。しかしその一方で、そうさせてしまう景吾様の存在が一層輝きを増して見えるのです。

「メイド長様、私、お相手の御尊顔を拝せる機会はありますでしょうか。いえ、決して不埒な想いからではございません。直接伝えることは叶わなくとも、せめてお近くで傅き、感謝の気持ちを表したいのです。」

そう本心から告げると、メイド長はくすりと笑われました。どうして笑われるのかと内心首を傾げていると、唇に指を当てたメイド長はこう告げたのです。

「ふふ、あなたもまだ若いわね。
景吾様はね、必要以上にお相手を人と会わせたくないのよ。見せびらかしたい気持ちと同じだけの重さで、閉じ籠めておきたいんでしょうね。
いつか燃えるような恋をすれば、あなたにも解るでしょう。
でも、いいわ。次にお相手がいらっしゃった時には、あなたをお側付きとするように手配いたしましょう。それまでしっかり仕事に励んで、どこに出しても恥ずかしくないメイドになるのですよ。」

そう言って笑うメイド長は、大人の女性でありながら同時に悪戯っ子のようでもありました。

今の景吾様を形作った方・・・どんなお方なのでしょう。
私達の敬愛する景吾様が唯一とされたお相手。景吾様をこんなにも輝かせて下さるお方に、私も仕えることができるなんて、果報者の極みですね。

お世話をさせていただける日まで誠心誠意お屋敷使えを勤めたいと存じます。
きっと、そう遠い未来ではないはずですから。



end

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