novel?2
□become Muddy
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言葉に出したら、色が付いてしまいそうだ。
チューブから、直接絞った藍色の絵の具をキャンパスに擦り付けるような。
不透明なその色が触れた白い大地は、既に失われてしまった。
否、この手で滅したのだ。
これ以上、その清廉さに焦がれることが無いように、と・・・。
【become Muddy】
目をつむって、朝になれば、再生している。
幾度となく見た夢の一場面。
後悔はしていないはずだった。
壊れかけた左腕、何も掴めなくなりそうな脆い左肩、そして、自ら否定したあいつへの想い。
「満足だろう?俺は、これでしばらくラケットを握ることは出来ない。それどころか、二度と・・・いや、この先は告げないことにしよう。」
勝つのだと自分の身体に言い聞かせて挑んだ試合。敗北の文字が刻まれたその結果に、感情が付いて行くのは難しい。
試合後、追い掛けてきたあいつに告げた言葉。 本心でなかったはずが、告げた途端に真実になった気がした。
逆上したのだろう、暗がりに引き摺りこまれ、荒々しく口付けられた。
カラカラに渇いた口内に、血の味のする舌と、汗の塩辛さが流れ込んでくる。
好きなように支配されながら、指を髪の間に挿し込み、首の生え際に鋭く爪を立てた。
途端に激しくなる舌使いと、押さえ付けてくる足の強さを妙に遠くに感じた。
あぁ、この感覚が最後になるのかもしれない、と。
想いを告げたのは、3年時の春だった。名前はお互いに知っていたし、そうでなくても意識せずにいられなかった。
あいつの強い瞳に惹かれないはずはない。だから俺の選択肢は最初から1つしかなかったのだ。
ただ、誤算が生じた。
跡部が、俺の想いを、嬉しい、と受け止めたのだ。
こんなことがあっていい訳が無い。
跡部との未来が明るいものである、と能天気に考えられる歳は過ぎてしまった。
跡部がこの不自然な関係に疑問を持ってしまったら。心無い者にこの関係が暴かれたら。その時に、俺はどうする。重荷になるだけの存在に成り下がるのか?
そもそも、この発想自体馬鹿げている。
何も持ち得ない、いや、持っていたとしてもこんなにも脆弱な力なら・・・俺が未来にも跡部と繋がれていられるはずがない。
真実を見透かされ、すぐに終わる関係・・・それが分かっているのに。何故、俺はあの時、そう告白をしたあの日に、跡部からのキスを受け入れてしまったのだろう。
「巫山戯たこと言ってんじゃねぇよ。肩くらい何だってんだ。俺は、自分の選択を恥ちゃいねぇ。お前だってそうじゃねぇのか?だから俺は、」
唇を外した跡部が、胸ぐらを掴みながら言葉を投げ付けてくる。激情を隠しもしない、熱い言葉。
いつだって、決して偽りを造らないその強さにどうしようもない程惹かれた。
真っ直ぐ過ぎる程に、自分を卑下することのないその心が何よりも輝いて見えた。
だからこそ、離れなくてはならない。
その唇に、偽りを吐かせる前に、真っ直ぐな瞳を反らさせることがないように・・・。
「肩のことなど大したことではない。
だからこそ、お前も分かったんだろ、跡部。俺たちに必要なのは、馴れ合いの愛なんかじゃない。共に強さを求める、一定の距離なんだ。」
自分で告げておきながら、自嘲が零れそうになる。
“一定の距離”?何を言っている。
では、この胸の痛みは何だ?まるで血の流れるような、この悪寒は?
その距離を形成されることに、いや、そこにさえも存在できなくなるのをこんなにも恐れているのは、俺なのだろう?
綺麗事を吐くな。
将来?
それならば、この腕は、肩は何だ?
全てを失ってもいいと・・・俺の“テニス”を差し出すことと同義のこの行動は?
認めなければならないんだ。
確かに全てだったはずのテニスを捨ててまで・・・俺は、跡部を選んでしまった、という事実を。
己が出したとは思えない酷く安っぽい答えに失笑を覚える。
ここまでしなければ、俺は気付くことが出来ないんだ。
「なぁ、」
跡部に指摘された肩・・・いつだって俺を裏切り、言うことを聞かないこの器官も今は大人しい。
いや、何も感じないだけだろうか。
「お前、何を怖がってんだよ。」
跡部が何かを問い掛けている。
「何を、そんなに恐れてるんだ?
怪我か?違うだろ。
腕も肩もリハビリは辛いだろうが、治らないはずはねぇ。」
言葉が上手く拾えない。
「お前が何を恐れてるのか、俺には分からねぇ。俺はお前じゃないからな。
でもよ、」
自分の内面に落ちて行くような思考の中で、突然熱いものに包まれた。
跡部が・・・俺を力いっぱい抱きしめたのだ。
「俺がここにいるじゃねぇか。
なぁ、いつも、そんな不安そうな顔してるのは何故なんだ?」
不安そうな顔・・・?
「何を言っているのか皆目見当も付かないな。
今まで、そんなことを言われたのは皆無だが?」
勝手に口から言葉が流れ出す。
「そう、それだよ。」
「何のことだ?」
辛そうな跡部の表情。秀麗なその顔に、深い悲しみが映る。
「お前はいつだって、強い自分であろうとする。
真っ直ぐな自分が周りに求められていることを知っているんだ。
だけど、それが・・・俺には痛々しいんだぜ。手塚・・・」
腕により一層の力が籠る。跡部の熱が、想いが痛いくらい染み込んでくる。
「俺の前でくらい、素顔のお前でいてくれよ。
強がったり、清廉だったりするお前を否定しねぇ。だって、それを引っ括めてお前だろ?
だけどよ・・・少しは俺のことを信じてくれよ。」
「何を・・・言ってるんだお前は?」
―跡部の言いたいことが分からない。だってそれじゃあ、まるで・・・。
「お前への想いは、変わるもんじゃねぇ。
お前だけなんて思うな。俺だって、いや、俺の方が、お前がここにいてくれている奇跡に、幸福に押し潰されそうなんだ。」
―永遠を誓う愛の告白の、
「好きなんかじゃ足りねぇ。愛してるんだ、手塚。」
―ようじゃないか・・・。
「俺は、お前と俺自身に誓う。
これから先、変わることのない愛と尊敬をお前に注ぎ続ける、と。
だから・・・俺に捕まっちまえよ。」
瞳を覗かれ、男らしくも優しい視線を向けられる。
信じても、いいのだろうか。
テニスだけでなく、お前とつながっていられる、と・・・。
耳元へ飾られる「愛してる」の甘い言葉を聴きながら、瞳から透明なそれが流れるのを感じた。
汗に混じり、気付かれなければいい・・・。
いつかは気化する液体となった涙のように、熱くなった想いが終着点を見つけられた喜びと共に晴れやかに昇華できればいい、と夏の日差しから隠れた暗がりで思った。
END