Novels Room

□奥山に
1ページ/2ページ

 ――秋は悲しき。





 折角の休日だというのに、独り秋の枯れ山なんかを訪れて、なんとも情けないこと。
 一応まだうら若き二十代なのに、心から話せる友人はおらず、これといった趣味もない。
 だからこうして気の赴くままこんな場所に来たのだけれど。
「…やっぱり、よせばよかったかしら」
 流行りの格好を身に纏った女性が、可愛らしく小首を傾げる。
 眉間に皺を寄せる面すら愛らしい姿は、枯れ果てた山に似合わない。
「でも、もうこんな所まで来てしまっているし…」
 ちらりと一瞥を前方にくれる。
 彼女が今立っている場所は、山裾に広がる林の終点近くだ。
「社に参拝して、それで帰ろうかしら」
 林の最奥、森の斜面に、忘れ去られた社がある。
 人知れずひっそりと佇むその存在が、何故か彼女は大好きだった。
「…うん、そうしましょう」
 上品な口ぶりが、寂しく秋風にたなびく。
 ぱきぱきと枯れた小枝を踏みしだきながら、社目指して女性は歩き始めた。
「あまり此処にいい思い出はないのだけど」
 誰もいないのをいいことに、大きな独り言で簡単に思い出を振り返る。
 風に冷たさが増す秋の午後だ、誰も好き好んでこんな枯れ山には来ないだろう。
「だけど、…いい思い出もあったのは、事実」
 表情が僅かに翳る。
 つい数日前のことなのに、今はもう過去となってしまた、あの人。
 物静かな雰囲気に自分と同じものを感じて惹かれ合った二人は、もう互いに違う道を歩んでいる。
「あの人と出逢ったのも、この社だったわ」
 門のように聳える大銀杏を潜れば、そこに小さな社が佇んでいる。
 その存在は、無言で優しく彼女を迎え入れてくれたような気がした。
「そしてあの人と別れたのも、この社の前だった」
 脳裏にあのときの情景がありありと蘇る。
 普段より更に無言だったあの人は、何も言わずに車を走らせ、此処で別れを告げたのだ。
 過去と割り切ったはずなのに、思い出せばちくちくと胸が痛む。
 こんな所に来なければ思い出すこともなかったのに、何故私は自ら進んで此処へ来たのかしら。
「…ねぇ、あの人は今、何をしているかしら」
 名も知らない神に問いかける。
「また薄着で過ごして、風邪を引いたりしていないといいけれど」
 とても几帳面な印象を与える人なのに、意外と生活力は低かった。
 入浴後髪を乾かさずに眠っては風邪を引いて、その度に自分が口うるさく世話を焼いていたっけ。
「ねぇ、…あの人に、出来るならもう一度会えたらいいのに」
 もしもう一度会えたら。
 会えたなら。
 自分は一言だけあの人に告げたいことがある。
「…会わせて下さい…」
 声が震えて、視界が潤む。
 答えがない問い掛けだと思っていた。
 誰もいないと思っていたから口に出来た。
 だけれど。
「――その願い、聞き届けたり」
 枯れた小枝を踏みしだく音とともに聞こえたその声は、確かにあの人のものだった。









奥山に 紅葉ふみ分け なく鹿の
声きく時ぞ 秋は悲しき
 猿丸太夫
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ