Novels Room2

□彩り紅唇
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 今日は普段より業務がてきぱきと進み、少し早く退出することが出来た。
 浮かれた足取りで家路を辿っていた昌浩は、肩に乗る物の怪を見遣り、声を弾ませる。
「今日は珍しく早く終わったね」
「そうだな」
 相槌を打ち、目を細めて物の怪は笑った。
「だが、本当はこれが毎日のことならいいんだけどなぁ…。晴明の孫や」
「孫、言うなっ!!」
 さりげなく添えられた禁句に牙をむき、手で払って物の怪を地面に落とす。
「…ってぇなぁ。何すんだよ」
 夕焼け色の瞳が半眼になって睨み付けてきた。
 それを黙殺し、足を進めていれば、眼前に見慣れた邸の門構え。
「無視すんなよ、昌浩ー」
 知らず足早になっていたようで、足元の物の怪は駆け足だった。
 幼い記憶からの妻戸。
 変わらぬ風景。
 開けばきっとそこには、いつもと同じように彰子がいるはず。
「ただいま!!」
 明るい少年の声が、広い邸内に響いた。
「お帰りなさい、昌浩、もっくん」
 それを受け止めてくれたのは、鈴の音の少女の声。
「彰子、ただいま」
「ただいま」
 どかっと腰を下ろし、昌浩は浅沓を脱ぎに掛かる。
 その横で物の怪は片方の前脚を上げながら、彰子を見上げた。
「今日は早かったのね」
「うん。…っと」
 適当に脱いだ浅沓を揃え、向かい合う形で立ち上がる。
「今日はいつもより上手く仕事が進んだんだ。ねぇ?」
「んー、そうだなー」
 後ろ脚で首元をわしゃわしゃと掻きながら、話を向けられた物の怪は気のない相槌を返してくれた。
「…もー。もっくん!!人の話はちゃんと聞くように!!」
 呆れた様子で昌浩が小言を言う。
 隣で彰子はくすくす笑っていた。
「それで、彰子は?今日は、…」
 どんなことをしていたの?
 もはや日課となっていたお互いの1日の報告が途中で途切れてしまう。
「……あれ……?」
 彰子の雰囲気が、いつもと同じ彰子なのに、何かが違っている。
「ま、昌浩?どうかしたの?」
 視線を彰子の面に注がれたまま、昌浩はしきりに首を傾げた。
 困惑している彰子の様子に気付き、昌浩の視線を追い掛けた物の怪は、ああ、と合点がいく。
「彰子」
「なに?もっくん」
 昌浩と彰子の目が、同時に物の怪へ向けられた。
「もしかして、紅、引いているのか?」
「あ……」
 小さな爪が示す唇は、確かに普段の彼女のそれより深く紅い。
「そうか、紅か…!!」
 違和感の正体がやっと分かったと、昌浩は小さく叫んだ。
 いつもと同じ彰子なのに雰囲気が違ったのは、普段引いていない紅を引いているから。
 謎が解けて、昌浩はすっきりとした。
「そうなの。露樹様に引いて頂いたんだけど、…どうかしら、変…?」
「っそ、そんなこと、ないよ!!」
 唇を両手で覆い、顔を赤くして小首を傾げる彰子の姿は、なんとも可愛いらしいものである。
 つられて赤くなりながら、昌浩はしどろもどろになって答えた。
「似合ってるよ、とっても。…うん、とても」
 ――可愛い。
 この言葉だけが、呪詛を掛けられたように言葉にならない。
 それがもどかしい。
 お互い赤くなって黙り込む2人に溜め息を吐き、やれやれと物の怪は口を開いた。
「なんだって彰子は、露樹に紅を引いてもらったんだ?」
「え?…あ、と。それはね」
 はにかむように、彰子は口を開いた。
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