Novels Room2
□紅色の風
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妻戸が勢い余って小気味よい音を立てながら開かれた。
「昌浩っ!」
開いたときの格好のまま、幼い少女の甲高い声が、部屋の主の名を呼ぶ。
「……ん……」
しかし昌浩は、部屋の隅で丸くなり、夢うつつの声を出していた。
「昌浩ったら、寝てたのね」
音もなく傍に近寄った少女が、呆れ顔で呟く。
「今夜の夜警に備えてのことだろう。あまり大きな声を出すなよ、太陰」
「分かってるわよ」
その後ろで、半ば引き摺られて来た体の玄武が、腕組みして佇んだ。
窘められた太陰は、眉を跳ね上げて口を尖らせた。
「でも、ちょっと間が悪かったわね」
「うむ」
寝転がる昌浩を見下ろし、二人の幼い神将は顔を見合わせる。
僅かに残念そうな顔色をしていた。
「折角教えようと思って来たのに」
つい先ほど、晴明の元に東三条殿から文を携えた使者が尋ねて来た。
文の差出人は当然の如く藤原道長である。
その内容は先日の羅城門の鬼女退治についてであり、晴明の迅速な対応に感謝する文と、そして昌浩の働きへの高評価が末尾に記されていた。
目の前で晴明が末尾の一文ににんまりする様子を見ていた太陰は、ともにいた玄武を無理矢理引き摺って昌浩の部屋まで来たのだった。
「数少ない、昌浩への正当な評価だったのに」
褒められたのよ、と、それだけを伝えるために。
「なんだか腹立たしいわ。昌浩はこんなに頑張ってるのに、それを知ってる人が少ないなんて」
頬を膨らませ、太陰が昌浩の横にしゃがみ込む。
「それは我も同感だが、仕方ないだろう」
「そうだけど……」
二人とも、それは仕方ないことだと十分分かっていた。
たとえば異邦の妖異が軍を成して攻め込んできたとか。
たとえば記紀に残る神の娘が、操られたとはいえ黄泉の軍勢を解き放とうとしたとか。
そんなことを正直に伝えたところで、人間界に要らぬ混乱を与えるだけだ。
だから晴明はすべてを自身の心の内に潜め、手足となって動いた昌浩はすべてを抱え込んだのだ。
「私たちだけじゃ、昌浩だって可哀想よ」
昌浩の努力を、葛藤を知っているのは、十二神将と安倍晴明だけ。
彼ら以外に知っている人物は、おそらくいないだろう。
「……やがて陰陽師として成長していけば、我ら以外にも理解者は出て来るだろう」
太陰の小さな背中を見詰め、玄武がぽつりと呟く。
「そうね」
明るく弾んだ声で、可愛らしい笑顔を太陰は玄武に見せた。
「それにしても、昌浩の寝顔って無防備ね」
つんつんと指先で眠る昌浩の頬をつつきながら、太陰が笑う。
「起きたらどうする」
眠っているのだから、と玄武は止めさせようとした。
「大丈夫よ、ほら」
試しに軽く頬を引っ張ってみたが、よほど深く眠りに落ちているのか、僅かに呻くぐらいで目覚める気配はない。
「昌浩……」
あまりと言えばあまりな扱いに、玄武は言葉を失ってしまった。
「ねえ、玄武」
「なんだ、太陰」
片手で自分の隣を示し、座れと視線で訴える。
どうしようか一瞬悩んだ末、太陰の隣に小さく正座した。
「昌浩の寝顔を見てると、小さかった頃のことが昨日のことみたいに思い出せるわ」
慈愛の優しい笑みを浮かべて、太陰の視線は昌浩に向けられる。
「初めて昌浩に挨拶したときのこととか、一緒に庭で遊んだときのこととか」
色々な思い出が脳裏を過ぎる、――と言いたいが、実のところ、当の太陰にも玄武にも幼い頃の昌浩との思い出は少ない。
「……そうよ」
「太陰?」
太陰には似つかわしくない、暗い声が漏れた。
「騰蛇がいつもいつも一緒にいたせいで、昌浩に近付けなかったのよ……!!」
拳を握り締め、悔しそうに歯噛みする。
今でこそ彼女は騰蛇に対し、ほんの少し恐怖心が和らいだが、当時は怖くて怖くて仕方なかった。
因みに今、この場に紅蓮はいない。
昌浩が晴明に借りて来た書物が部屋中に散乱してしょうがないため、返しに行ったきりだ。