小説・陽光に包まれて

□circle of blue
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「伊勢田君…」
「まだ、本を探して読む段階じゃないよね。でも…辛くなったら、ここに来ればいいよ。宗像教授も、アドバイスくれるから。」
「うん…」
こちらに振り向いた彼は、いつもの温かい瞳に戻っていた。
「午後の講義は、出られそう?」
「三講目の社会学は、出ないと…」
「僕も、同じだから一緒に行くよ。」
カップを片づけて、温かく甘い香りが充満した部屋を出たら、廊下はひんやりとした冷たい空気だった。
寒いのが、現実なんだ。
講義がある教室に向かう途中の渡り廊下で、学生の群れの中から嫌な声が聞こえた。
「なんだぁ。そう言う事か!」
凍り付いて立ち止まった私の前には、涼介が立っていた。
「…りょぅ…すけ」
「まぁ。俺には関係ないけどさ、お前に俺を責める権利はないよな。さっき終わるって言って、もう新しい奴連れてるんだから。
まっ、お前が勝手に始めたつもりなだけなんだろうけど。男からしたら、迷惑な女だよ。」
頭の芯から爪先までが、冷たくて、ガタガタと体が震えて涙が溢れてきた。
「ちっ。すぐ泣くから、ウザいんだって」
違うよって言い返したいのに、悲しさと悔しさと腹立たしさが混ざり、息が苦しくなって、立っていられない。
世界が隔離されたみたいな感覚になっていく…。
呼び戻すかの様に、突然左手が掴まれた。
「…伊勢田君…」
その手は、さっき私を教授室に導いた時の様な、温かく優しく包み込むような繋ぎ方ではなく、捕まえる様に力強く握られている。
「行こ」
「ぇ…?」
そう言った彼は、温かい春の眼差しではなく、とても悲しい目をしていた。
涼介を無視するように目をそらし、教室にも入らず、伊勢田君は私の手を握ったまま歩き出した。
「清良?」
途中、亜依子と健太郎とすれ違って呼ばれたけど、返事もしないで通り過ぎて、手を引かれるまま歩いた。
着いたのは、さっきいた宗像教授の部屋。
まだ、温かい甘い香が残っていた。
どの位時間が経ったのか解らなくなる程、黙ったて座っていた。
悲しくて悔しくて胸が痛い。けど…黙って力強く手を繋いで、横に座ってくれている伊勢田君のお陰で…取り乱したりする事はなかった。
「彼が…いつも、君が泣いている原因?」
苦しくて、声が出しにくくて、頷くしか出来なかった。
「彼、恋人だよね。ごめん。」
しっかりと繋いでいた手が離されてしまった。
「…違う…の」
「え?」
「…ずっと…そう思っていたのは…私だけで…涼介…は、そうじゃなかった…」
「!」
「だから…いつも…いろんな女の子と…」
涙が溢れて、それ以上は話せなかった。
「ごめん。僕…恋愛とか経験ないから…何て言っていいか解らないけど…。でも、彼の言葉は…好きな人に、言う言葉じゃない。
だから…いつも悲しい顔してたんだ。
…それでも、好きなんだね。」
「…好きだった。でも本当は…好きとかじゃなくて…溺れてたんだって、解ったの。
私、彼の人柄とかが解ってなかったから…。恋に恋してただけで。
涼介にとって私は、他に遊ぶ女の子がいない時に会う何人かの一人だったんだって…気づいたから。もぅ…忘れる。」
「忘れてしまうだけ?」
「許せないとかより…もぅ…覚えていたくないから。涼介の事も、愛されてるって勘違いしてた自分の事も…記憶から消したいから…。」
「そうだね…そしたら…苦しくないよね。」
「あの…恋愛の経験がないって…。辛い片思いとかしたの?」
いけない質問をしてしまったのか、伊勢田君の表情が固まってしまった。かっこよくて、勉強もできて、優しい伊勢田君が恋人がいないって信じられないし、
…もしかして…女の子には、興味ないとか。
だったら、私と平気に手を繋いでもおかしくないわけで…。
でも、そんなのって…。
「僕は…信じられないから…人と深い付き合いは…出来ないんだ。」
え?どう言うこと。
「ぇ…だって、私に親身になってくれているのは…?」
「悲しんでいる人には、幸せになって欲しいんだ。だから…僕は、泣き顔の君に笑って欲しかった。でも…それは、君の事を信じる信じないとは…別な話。」
「どうして?」
「…ごめん。…ごめんね。…もしかして…僕を信じかけていた?」
「…うん」
「…だから…辛い目にあうんだよ。人なんか…信じちゃ…ダメなんだよ。信じた途端に…皆裏切るから…。」
温かな春の笑顔だと思っていた…伊勢田君が、悲しい目をして、取り乱している。
手が、僅かに震えている。
何が、あったんだろう。
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