ラピスラズリ

□優しい花
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「黒わん、可愛いものくっつけてるー」
ファイの指に撫でられて、ひらひらと舞い落ちた小さな花びら。
黒鋼の着物に花びらが何枚かくっついていた。
「…あぁ、小僧の鍛錬の時のか」
ファイはその花びらを一枚、掌に乗せると目をまあるくする。
「これってもしかして、桜の花かなー」
「この国でも桜と呼ばれてんなら、そうだろうな」
花は殆ど図鑑でしか見たことがなかったからなぁ、ファイは小さく呟いた。
そういえば…と、黒鋼は思う。
魔女の許で初めて逢った時から、防寒具だろう服を重ねて羽織っていた。
北方の国の出身だと言っていた。花は、珍しいものだったのかもしれない。
「優しい色してる…サクラちゃんみたいな雰囲気だねぇ」
橙色した照明の光がファイの横顔をゆらゆらと照らす。
(…そんな顔も出来るんじゃねえかよ)
鬼児に襲われた夜、刀の鞘を突きつけた時に見せた薄っぺらな笑顔では無く。
口の端を僅かに上げて目を微かに細めただけの、けれど偽りの無いだろう笑顔だ。
(桜、か)
桜の木が花を揺らしていると、話しかけられている様に思うのだと。
桜の花は優しいから…
流行りの風邪で臥せていた母が、庭の桜の木を見ながらそっと口にした言葉。
黒鋼は覚えている。
(……………)
黒鋼はファイの微妙な変化に気がついていた。
その蒼い目は時折、遥か遠くを見ていた。
逃げなきゃならない、色んな世界を…
ファイは世界に留まることを望まない。
遠く、遠くに見えているのは、これから逃げにゆく世界なのか逃げてきた世界なのか、それとも
(何処も)
(…見てねぇのか)
黒鋼はやけに苛ついた。
魔術師の事情など自分には全く関係の無いことのはずなのに、何故にこうも乱されるのか。
たった一枚の桜の花びらを慈しむ様に…
(…そんな顔で笑えるなら、最初からそう笑え)

桜の花は、優しいから。

もし桜が声を放つのなら、同じ名前を持つ少女の様に語るのだろう。
満開の桜の花、舞い吹雪く淡い花びら。
視界を染める桜色。
見せてやりたい。

その時はどんな顔で笑うのか、見たい。

不意に溢れ出てきた想いに黒鋼自身が驚いて、頭をがりがりと掻きむしる。
(…小僧と姫と白まんじゅうも連れて…花見…でもするか)
この国に来てから働き詰めているだろう、と、もっともらしい理由も加える。
花見のことは明日にでも話してみるか…と思い巡らせたままに、黒鋼は暮夜の鬼児狩りの準備を調え始めた。

桜都国が現実には存在しない国なのだと知ったのは、その後の日のことだった。
結局、まがい物であったとしても、黒鋼はファイに桜の花を見せてやることは出来なかった。
そうして世界を幾度も渡り、黒鋼がファイを手放す気なんてほんの欠片も無くなってしまった時に。
あの、小さな花びらを思い出した。

おまえに、日本国の桜を見せてやる。日本国の桜はどの世界の桜よりも、綺麗だ。

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