ラピスラズリ

□蜜計
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「……そんなことないよ。黒様とずっと一緒にいられるのが嫌だなんて絶対に思わない。だから……」
「…………」
「もしそれが本当なら、君がお酒に酔っていない時にちゃんと言ってほしいな」
「それならいいのか」
「うん、いいよ」
ファイの掌が黒鋼の腕を優しく撫でると、その強張りが解けていく。
「ほらー、そろそろ離してくれないとオレ、動けないよー」
ファイが困ったように笑うと黒鋼は渋々とだがファイを自らの腕の中から解放してくれたので、ファイは黒鋼の頬にキスをした。
……いたずらしてごめんね、ファイは心の中でそう呟いていた。


翌朝、ファイが黒鋼に昨夜のことをおずおずと聞いてみると、ほとんど覚えていない、ということだった。これでよかったのだと思いながら、ファイは複雑な気分で味噌汁を作っている。温かいものを口にしたかったのだ。
(酔ってなかったらあんなこと言わないよねぇ……)
昨夜の黒鋼の言葉を思い返すだけでファイは恥ずかしくなってしまう。
(可愛いとか、……嫁に欲しいだとか。やっぱり変だったし。黒たん、本当に酔ってたんだなぁ)
あの蝶のラベルの酒だけが原因だったのか。もしかしたら黒鋼は疲れていて酔いやすくなっていたのかもしれないとファイはぼんやりと考えていたが、ふと、あることを思い出した。
(そういえば、侑子先生と約束してたんだ)
黒鋼が酔ったら、どんなことをしたのか、どんなことを喋ったのか、それを教えると。
(教えるって……抱きしめられて可愛いとか嫁に欲しいとか言われたことを!?)
ファイの顔が一気に赤くなる。黒鋼があんなことを言うなんて考えてもいなかったし、美味しい酒の対価が黒鋼の言動を教えるだけだということなら易しいものだと思っていたのだ。
黒鋼は酔わなかったと言えばそれで済むのかもしれないが、そんなごまかしは侑子にあっさりと見抜かれてしまうだろう。人の機微に敏感で恐ろしいほど勘が鋭い彼女には上辺だけの秘め事など無意味だ。この甘い顛末はきっと知られてしまう。
頬が熱くてしょうがない。味噌汁の鍋の前で、ファイは頭を抱えていた。

……台所でファイが作っている味噌汁のいい匂いが黒鋼の食欲をそそって腹を鳴らす。黒鋼は昨夜のことをはっきりとは覚えていないが、ファイの声だけは耳にわずかに残っていた。
――もしそれが本当なら、酒に酔っていない時に言ってほしい……
(……思い出せねぇ)
自分にしてはかなり珍しく、酷く酔っぱらってしまったらしいのだ。そんな状態でファイに何を伝えたのかと黒鋼は悶々としていたが、それは酔狂な戯れ言などではなく、己の心に遠く違えたものではなかったはずだと不思議と理解していた。しかし……。
(思い出せねぇ……!)
黒鋼の眉間に皺が寄る。ぼやけてしまった記憶は目を凝らしても、もう見えそうになかった。
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