いっそのこと溺れさせてほしいと思う。
所詮、叶うことなどない馬鹿らしい望みだとしてもだ。

何もかも沈め、苦しみにも似た悦楽を与えてほしい。
そして、痛いほどの歓喜を胸に。




気持ちの良い秋の風を感じながら俺は、窓辺に座り煙管を吹かす包帯の巻かれた小さな頭を見ていた。
プカプカと吐いた煙が窓の外へと逃げていって消える。

それを見て、ふと唇が淋しくなった。


「高杉、」

「あァ?」

「俺にもくれ。」


声を掛ければ、嫌そうな声音になりながらも高杉はゆっくりとこちらを振り返ってくれた。
サアッと吹いた風に彼の髪が揺れ、欝陶しそうに顔を歪めていた。


「…何をだよ。」

「それ。」


と言って口元にある煙管を指差す。
高杉は怪訝そうに少しだけ首を傾げた。
再び風が吹き、今度は俺の髪をも揺らす。


「お前、自分のもんがあるだろうが。」

「高杉のがいい。」

「……」


眉を顰め、机の上にポツンと置いてある煙草の箱に視線を落とし、多少苛立ったように高杉は言った。
そんな台詞に迷う事無く返事を返せば、高杉は変な生き物を見るような目で俺の瞳を見つめた。
無言だったが「何を言ってる」と目が言ってるのがわかる。


「高杉、」

「わかったわかった、おらよ。」


しばらくの沈黙のあと、綴るように名前を呼べば、諦めたのか高杉は使っていた煙管を口から離し、俺のもとへともってきてくれた。

さすがにこの距離を投げる気にはならなかったのか、ぼてぼてと歩く姿はすごく不機嫌そうだ。
渡された煙管に満足気な笑みを浮かべてやれば、そんな雰囲気はどこかへ行ってしまったのだけど。


「…苦い」

「当たり前だろうが、阿呆かてめェは。」


高杉のように真似をして煙を吹かそうとすれば、意外にきついことが判明し、眉間に皺を寄せながら文句を言ってやれば呆れたように笑っている高杉と目が合った。

隣に腰掛けた高杉は、俺の苦々しい顔が見られてすっきりしたのか気分は些か上々で、楽しげに口元を釣り上げながら俺の髪に指を絡めて遊んでいた。

そんな余裕ある姿に、苛立ったのは言うまでもない。


「いっ!!…なにしやがる!?」

「なんかむかついた。」

「はァ?なんだよそれ…」


むかついたので、さらさらと未だ俺の髪で遊んでいる高杉の髪を、仕返しだと言わんばかりに引っ張ってやれば、盛大に睨まれてしまった。
理由を問われて素直に答えれば、一瞬怒気を含んだものの、また呆れたように高杉の瞳は笑ったのだけど。

しばらくはそのまま二人、何も言わずに呆けていたが俺はというと、自分で突き放したものの高杉の指の感触が無くなるとなんだか物悲しくなってきて、少し後悔していた。


「高杉ィ、」

「なんだよ、さっきから。」


名前を呼べば高杉は振り変える。
まるで、沈黙に耐えきれなかったかのように吐き出した俺の声は多少擦れていて、我ながら哀しい奴だと思った。


「…別に。」

「、はァ?…変な奴。」


特に意味もなく名前を呼んでしまったので、素直に言葉を返せばぐしゃり、と頭をかき回された。
それはお前もだろ、と言いたくなったが、ガキ扱いをする彼の手のひらがなんとなく気分を落ち着かせたので、その台詞は黙って心の中に留めておくことにした。

高杉を見やれば、いつもの呆れたような笑み、というより少し皮肉を込めたように口元を釣り上げていて、瞳が合えばさらりと髪を撫でられた。


なんだかんだ文句を言いながらも、やはり高杉は優しい奴だと思う。
現に恋しいと思っていた彼の指を求めれば、何も言わずにそっと髪に触れてくれた。

それは唇だってそう、愛の言の葉だって。
ふとした瞬間でさえも、彼を慕わしく思えば高杉は優しくその想いを包み込んでくれるのだ。

その優しさに飲み込まれたいと、貧欲なこの脳は何度そう思っただろう。
しかし決して、俺が溺れてしまうほどの愛情を高杉は向けてはくれないのだ。


彼は、俺が愛に溺れることで真選組や俺の誇りが壊されることを恐れている。
つまりは俺のために深くは愛してくれない。 

それは本当に、俺のためなのだろうか。
それとも俺たちのためなのだろうか。


「なあ、水で溺れ死ぬのと首を絞められて死ぬの、どっちが苦しいんだ?」

「はァ?…どっちも苦しいんじゃねぇの?まァ、溺死は一番苦しい死に方だとか言うけどな。」

「…そうか。俺は首絞められたほうが苦しいと思う。」

「なんでだよ。」

「…なんとなく。」

「ちっ、はっきりしねぇな、テメェは。」


我ながら突拍子もないことだとわかっていたが、俺の気も知らずに平然と取り戻した煙管を吹かしている高杉を見て、悪戯心に困らせてやろうと思った。

まあ、そんなのは建前で実際は高杉がこのことについてどう思っているか知りたかっただけなのだが。

しかし残念ながら、俺と彼との答えは合わず馬鹿にしたように高杉は言葉をこぼして、窓の外へと視線を向けてしまった。



「…溺れて死ぬってのは苦しくて、淋しいんだ。」


それ以来、すっかり会話もせず疲れたように高杉の背に体を預けていれば、ふと頭の後ろから彼の声が響いた。
その声は、ポツリポツリとまるで独り言をつぶやくような小さな言葉だったが、しっかりと俺の耳に届いており、高杉に言い聞かせられているような錯覚に陥る。
少し、目頭が熱くなったが気がした。


「独りで淋しく押し潰されて、苦しんでやっと死ねるんだ。…いい死に様ではねェだろうな。」

「…誰かいれば淋しくないだろ。」

「ハッ、心中しろってか。どっちにしろどちらかが相手の最期を見るんだ。そんな気分の良いもんとは思えねぇよ。」

「……」


それから本当に何も言い返せなくなって、無言でしばらく自分の手を睨み付けていた。
この手で彼の首を絞めて苦しめてやろうかとも思ったが、やはり高杉の最期をみるのは嫌なので少し力を入れてみただけにした。


風が吹き付けてきて、二人の黒髪をさらさらと揺らす。
ちらりと横目で高杉を見やれば何事も無かったかのように真っすぐ前を向いていて、どこか違和感を感じたりした。


「高杉。」

「あァ?」

「寒い。」

「…ったく、そんな薄着してっからだろ?オラ。」


未だ吹き付ける風に、少しばかり寒さを感じ高杉に縋れば苛々とした台詞を吐きながらも、こちらを向いてギュッと俺の体を高杉は抱き締めてきた。
荒々しくひっぱられた己の体は、ポスンと軽い音を立てて彼の胸の中へと納まった。

同じ場所に居たはずの彼の腕の中は不思議と暖かく、嗅ぎ慣れた高杉の匂いに包まれて居心地がよかった。


「高杉苦しい。」

「うるせェ。黙って抱かれてろ。」


嬉しいと思いつつ、憎たらしい文句を言えばそのまま、高杉は床へと倒れこみ眠る体勢をとってしまった。
所詮俺は抱き枕となる。

胸の位置に頭があり、上目遣いで彼の表情を見ればもう夢の世界へと旅立ったのか、気難しい顔をしながらもその瞳は安らかに閉じられていた。


「……」


寝返りをしようにも、高杉の腕がしっかりと自分の体に巻き付かれていて、動くに動けなかった。
仕方なく、瞳を閉じればより一層彼の体温が肌に伝わり、苦しくて、愛しくなった。


「…溺れるほうがいいだろ。」


ポツリとつぶやいて、その暖かさに泣きそうになりながらも高杉の背に腕をまわし、きつくその体を抱き締めた。



いっそのこと溺れさせてほしいと思う。
彼以外考えさせないで、ずっと見つめさせてほしい。
縛りついたしがらみもすべて捨て去って、彼だけを瞳に映させてほしい。
何も考えずに彼だけを想いたい。


すっかり、落ち着いた表情になった高杉の寝顔を見て、少しだけ俺は彼の着物を濡らしてしまった。





願わくは惑溺を。

(あと少しで貴方だけを想えるから)



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