作品置き場2

□Dそれでも、君を見ていた
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「日番谷先輩。あの…今ちょっと良いですか?」


しん、と静まり返った部屋に小さく遠慮がちな高い声が響いた。

その声に、振り向いてみると、ピンと背筋を伸ばし、カメラをぎゅっと握って佇む一人の少女が居た。

あの春の日見掛けた黒髪の少女
雛森桃。


「あぁ…雛森、来てたのか。どうした?」


わざとらしくまるで今、振り向いてからその存在に気付いたかのような態度を取る。

本当は振り向く前から声で…いや、来た時から気配で雛森だと分かっていた。


「あ、はい。日番谷先輩ならこの時間ここに来てるかなって思ったんです。」


いつもの可愛らしい声で言われたそんな台詞に、自然と頬が緩み口元が上がる。
自分の事をそんな風に分かってくれているのか、と馬鹿みたいに喜んでいる自分が居た。
雛森にはそんなつもりはないのだと分かっていても…。


「えっと、今日の放課後なんですけど、暗室私が使っても良いでしょうか?」


雛森は少しだけ首を傾げ、上目使いでこちらを向き、尋ねて来る。
そんな男を魅了する可愛らしい仕種も、きっと彼女にとっては無意識で当たり前の仕種なのだろう。

そんな所が可愛くもあり、時に少し憎くもあった。




ふとした時に思い浮かぶのは雛森のふんわりとした優しい笑顔。
見ているだけで幸せな気持ちになり心が暖まる。

そう、例えるならば春の日に降り注ぐ陽の光のような、優しい優しい笑顔。


でもいつからかその笑顔を思い浮かべる度、幸せになると同時に胸が痛く、苦しく感じるようになった。




彼女には、想い人がいる。







あの日。
雛森を初めて見たあの日、桜に向けられていた彼女の笑顔は彼女の後方から歩み寄って来たある男に向けられた。
優しく彼女の頭を撫でる、あの男に。

その時の雛森の表情は今でも忘れられない。

桜色に色付いた頬。
幸せそうに、でもどこか切なげに細められた藍色の瞳。
真っ赤な唇はにっこりと緩やかに孤を描き、彼女の全身から、その男が好きなのだという気持ちが溢れているような気がした。

あれは、恋する乙女の表情。

実際に雛森に真相を聞いた訳でも無いし、本物の恋する乙女の表情なんて物は見た事無いが、あの日の彼女の笑顔は正にその言葉がぴったりな、本当に綺麗な表情だった。



俺はあの日以来雛森のそんな表情を見ていない。




「先輩…日番谷先輩?」

突然すぐ近くで自分を呼ぶ声がして、びくりと肩が奮えて我に帰った。

いつの間にかぎゅっと目を閉じ、下に向けていた顔を少し上げてみると、心配そうに眉をハの字にしてこちらを覗き込む雛森の顔があった。


「先輩?どこか具合悪いんですか?」


眉尻がこれでもか、と言わんばかりに下がった彼女の泣きだしそうな表情を見て、胸がぎゅっと締め付けられた。


「わり…なんでもない。大丈夫だ。」


そう呟いたが、なおも心配そうに見つめて来るので雛森の頭をそっと撫でる。


「本当に具合悪くねぇから。ただ卒展の写真が決まらねぇんだ。」


頭を軽く撫でながらそう呟くと、やっと雛森が安心したように良かった、と小さく囁きながら顔を緩めた。


この学校の写真部は毎年卒業式前に、卒業生の写真を展示する展示会を校内で行っている。
卒業生がこの学校で過ごして来た3年間の中で何を学び、何を見て感じ、そして何を得たのか。
この学校に居た3年間を卒業生自身に覚えていて欲しい…という顧問の計らいらしい。





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