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□員
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桜。
ふわり、ふわりと舞うその花弁を眺めて、私は懐かしさに目を細めた。
軽く伸びをして、それから再びキャンバスに向き直る。そこは、桜色で埋め尽くされていた。




「うーん...」




しっくりこない。
桜は大好きなのだけれど。
理由は分かっていた。




「やっぱり、ダメかぁ」




並盛中学、美術の専門学校を卒業した私は、絵だけで生活できるようにとはいかなくても、絵で小遣い程度の稼ぎができる状態を目指して目下修業中である。先日、展覧会に出した風景画を気に入ってくれた人がいたらしく、その人から桜の絵を描いて欲しいと依頼されたのだ。直接会ったことはなくとも、依頼を受けるのは初めてのことで、自然とやる気に満ち溢れてくる。...はず、だったのだけれど、話は冒頭に戻る。




「桜、桜かぁ」




桜といえば、思い出されるのは漆黒の彼。彼に一目惚れした日も、桜がこんな風に咲いていたっけ。

...彼は、どうしているのだろう。
急に懐かしさが切なさに変わり、きゅう、と息が詰まった。あの日破られた絵は、遂に完成することはなかった。というのも、その騒ぎをどこからか聞きつけた親が、私を転校させたためだった。

彼には、会うこともできなかった。たったの一度、「転校することになりました。絵のこと、すみませんでした」と、親の目を盗んで電話できただけだった。彼も一言、「そう」と言っただけ。好きです、とか、言えたらよかったんだんだけど。そのすぐ後に、いつか迎えに行くよ、なんて言われた時にはその意味が理解できなくて、もう一度聞き返したとき、親に邪魔されて、それきり。それきり何の音沙汰もない。彼は、元気にしているだろうか。




「...はぁ」




思えば、あんなに男の人と距離が近づいたのは彼が初めてだった。初めて、キスもした。唇に触れながら思う、私は馬鹿なのだろうか、と。たかが中学生に言われたプロポーズ紛いの言葉を真に受けて、今も心のどこかで彼を待っている。

ダメだ、考えすぎた。
頬をパン、と叩いて気を引き締めると、改めて絵を眺めた。そして、決めた。しっくりこないなら、そしてその原因が分かっているのなら、自分の納得いくように描けばいいのだと。
本当は依頼主の希望を聞くべきなのだろうとは思う。けど、自分が納得できないものを世に出すつもりはなかった。




「よし!」




気合を入れ直すと、まだ鮮明に記憶に焼き付いている彼を思い出しながら、桜には不釣り合いな黒色を手に取った。
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