ガロファノの花弁

□Gemma.
1ページ/5ページ


規則的なアラーム音が、朝の静けさの中で一際存在を強調する。音に敏感に反応したルカは枕の上に手を伸ばし、音を発していた時計を停止させた。それから漸く重たいまぶたを持ち上げる。

目の前には、相変わらず目覚めない竜胆の顔。勿論ベッドはこの部屋に二つある。ルカの我儘で、わざわざこちらで一緒に寝てもらったのだ。我ながら幼稚な行動だったが、竜胆は快く了承してくれた。
トラブルだらけだったロシアから帰国して一週間。ルカはマイナスな思考に駆られ、それらに押し潰されそうになっていた。昨晩はそれに耐え切れずに竜胆に頼ったのだ。彼の腕の中で眠りにつくという、普段なら羞恥で爆発してしまいそうな行動も、あの時はとても安心出来た。

ロシアでの一件は上層から何も連絡は無いが、アスタホフから渡されたデータと、あの騒動の中でホセがサーバーから盗み出したデータはかなり有用だったとの事だった。いずれ、D機関はDを殲滅する為の力を増すだろう。

ルカは一度欠伸をし、そっと身を起こす。すると腰に何かが引っ掛かり、布団を捲くると竜胆の腕が絡み付いていた。肌を晒す上半身にその腕はこそばゆく、心地好い熱が伝わっていく。

「もう起きろよ。リンドー」

黒髪の掛かる肩をそっと揺すれば、腰を抱かれる強さが少しだけ増す。しばらく反応を見たが、竜胆は唸って身動きするのみ。これでは自力で起きる望みは薄い。いつまでも、この眠りの深さは直らないようだ。何もかもが変わってしまった自分達の中に残された、変わらない日常の一部が確認できて、内心嬉しい。

「Darling、そろそろ起きてくれないと困るのよ?」

到頭待ち兼ねたルカは、夢の世界に浸る竜胆を足で押し退け、ベッドから落とした。どさりと重たい落下音の後、痛みを訴える小さな悲鳴が聞こえた。

「わぅっ…!?」

「目ェ覚めたか?Darling」

状況を把握しかねて、仰向けのまま狼狽える竜胆をベッドから見下ろして、小さく笑う。竜胆はくしゃくしゃとなった髪を手櫛で整えながら起き上がった。

「お、おはようございます」

「おはよ、リンドー。ガウン捲れてんぞ。随分とセクシーじゃねぇの」

「もう。ルカ…」

竜胆は気恥ずかしそうに微笑する。しかしそれは本当にわずかなもので、竜胆はすぐに寂しそうな顔をした。長い髪の合間から見える目は泣いているのかと勘違いしそうなくらい悲しい。

「リンドー、どうかしたのか……っ!」

不意に抱きしめられ、息が止まる。竜胆はベッド下に居るため、こちらが屈むような体勢を余儀なくされ、ルカは目を丸くする。次いで、竜胆の声が鼓膜を撫でてくる。

「あの、ルカ…言いにくいのですけど、君は心から笑ったりできてますか?」

「え…」

「帰国してから、ずっと君は無理をしてる気がして…こうしてからかってくれる声も、なんとなく違うんです」

「そんなこと…ねぇよ」

「そんなことあります」

抱擁が解け、両手をそれぞれ握られる。竜胆が立ち上がるとほぼ同時に、体重を掛けられてベッドに倒れこんだ。

「おいっ…」

手をきつく握られて、胸同士が密着する。びりびりと本能が精を求めてざわめくが、今その気が全くないルカにとっては、思考を妨害する現象でしかなかった。

「悩みがあるなら、不安なら、僕に相談してください。言えないなら昨晩みたいにただ寄り添わせてくれるだけでいいです。自分だけで抱えないでください」

「……。」

「僕達はもう、ただのパートナーでは無いんですから」

既に共に戦い、生活する関係だけではない。拙い恋心を伝えあい、抗いようもない血を共有し、竜胆はルカにとっての掛け替えのない血族となった。互いが存在する限り、血と絆は強固な繋がりとなる。そもそも末期感染者である竜胆は、自分無しでは正常に生きることも難しいだろう。もう生涯共にする伴侶と言っても差し支えない。自分の想いだけで、彼をこの世に繋ぎ止めた責任もあるのだから。

「…そうだなDarling。分かってる。頼りたいときは頼るっての」

「本当ですか?」

「おうよ。でも、なんでもかんでも頼るのは男が廃る。一人じゃヤバくなったら絶対頼るから、そう心配すんな」

少し上体を持ち上げ、額同士をこつんとぶつけた。竜胆はその手を握る力を増し、不安そうな顔のまま、じっとこちらを見つめてくる。

「じゃあ、その時は言ってくださいね。君がつらい顔をしているのを見るのは、もう嫌ですから」

竜胆の吐息が顔を滑る。互いに黙ると、腹の中でじくじくと滞留する欲求が気になりはじめ、目を背けた。それが不満だったのか、竜胆はこちらと唇同士を触れ合わせる。顔が火照り、ルカは改めて竜胆を見る。

「なんだよ」

「…いえ、話が終わったら、唐突にしたくなってしまって」

「本当に唐突だな」

投げる短い言葉には僅かに笑いが含まれている。ルカは竜胆の手を握り返した。

「いいぜ、したい事しろよ。オレもそうする」

じゃれあう気は本当に無かったのだが、竜胆に望むなら乗らない訳にはいかない。気恥ずかしいが、心身ともに何より満たされる時間だ。顔を赤らめたまま、ルカは噛み付くキスをする。竜胆は余裕がある時は、常に気遣うような優しいキスをしてくるが、自分は力加減が苦手でよく竜胆の歯に自分の歯をぶつけてしまう。彼にがっついているようで格好がつかない。

「…ん…、ふ…ふぅっ」

互いの舌を弄ぶ。唾液が湿った音を鳴らすと劣情が沸々と沸いた。細胞の一つ一つまでが竜胆を求めているようにすら感じる。
いや、馬鹿か自分は。朝っぱらから盛ってどうするのだ。第一、今日は朝から予定がある。

「ッ、リンドー…ミーティング遅れる」

「あ、そうでしたね。すみません…」

竜胆が名残惜しそうに顔を離し、上体を上げる。自分からしておいて、と言われても仕方ないが、このまま流れに任せておくと間違いなくミーティングに遅刻するだろう。ロシアの件でサヴァの機嫌もあまりよくないし、必要以上の怒号を浴びせかけられたくはなかった。風の噂では、帰国後にエリオットが丸二日行方不明になったとか。サヴァの怒りを真っ向から受け止めて、あの男は無事なのだろうかと心配になる。

取り敢えず先にシャワーを浴びよう。軽く竜胆に声を掛けてから、ルカはバスルームに向かった。




………………………………………………
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ