頂き物・捧げ物等

□蛇蜘蛛
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(市丸と砕蜂) 


伏して願ふならば、蛇蜘蛛が歪んだその思想を食ってやれないか。

「クーラーに毛布は最高の組み合わせですなァ、な。」市丸はにやにやしながら砕蜂に話しかけた。本当は、クーラーに毛布の組み合わせを彼女は思わしいとは感じていなかった。だから、案の定答えは「無視」で深夜を通り過ぎて未明だった。そんな時間まで何をしてたんだろう、といわれるとほとんど何もしていない。大きく言ってみると、旅行中だ。共働きの夫婦関係だとなかなか休みが合わなかったので、休みは無理矢理こじつけて取った。初めて行った旅行なんて嘘くさいけど現実に初めてだった。人を守る仕事に就く長は、何かと不自由な気がした。きっと、いつもぼおっとしているように見える市丸と何でもはいはいと言って引きうける部下の組み合わせが幸いしているのかあまりやっていることがしんどそうにみえることはほとんどしない。もうこんなことをしていたら、時間はあっという間に過ぎていて、何回目かの結婚記念日になっていた。昔、上司が結婚は早くした方がいいよだの、ぼおっとしすぎてまた休み取れなかったのとかちょっと呆れ気味に言う幼なじみ、そういうのが忠告に聞こえたのがこうして二人がそろって休みを取れたときなんだろうか。もう少し早くそういうことが、愛情とかそういう優しい感情であったと気づいていればもっと彼女を大切に出来たと思う。我ながら、形式的な夫婦になったという儀式をあげてから少しして、すぐに仕事に戻らないといけなかったのは人生で一番後悔していたことだ。暇だけど暇じゃない微妙に忙しい忙しいと思って何も出来ないと思っていれば、いつの間にか彼女から「もっと早く日取りも会場も一緒に決めて欲しかったのに」と少し呆れられた。
そういえば、初夜っていうあの甘酸っぱくて恥じらいを感じる信じられない妄想みたいなあの日を市丸は過ごしたことがなかった。仕事に集中していたからなんて言い訳か、もう帰れば彼女は眠っていたのだ。そのときは、今と同じで夏だった。市丸のすることがあまりにも無計画だったせいで、新居に荷物だけが置いている状態かつほとんど片付かないあの部屋で彼女は、何かの途中で眠ってしまっていたのだ。クーラーをつけっぱなしにして眠っていた、それの電源を切ってベッドまで連れて行くことは容易い。しかし、あまりにも気持ちよさそうに眠っていたので毛布をかけて自分ものっかるように眠ればきっと少しはそれを共有できるんじゃないかとかそういうことを考えた。砕蜂の寝顔、意外なんて失礼だけど可愛いと思った。申し訳ないけれど、こういうことを他の女としたこともあったような。浮気とかじゃなくて長いこと一緒にいた幼なじみだ。確かに、周りからすれば羨望のまなざしだろうがそういうのは恋じゃない。こうやって無防備に隣でただ眠っている女の子が無性に可愛くって、触ってみたいとかそういう悲しくもむなしい理性が勝ってしまって勝ったことが嬉しくない展開が彼女にはあるのだ。なんだかこういうのの説明が難しいし、伝わらない。面倒だけど一つ一つを卵を扱うように大切にしたい、なんて臭すぎて今まで言えた試しもないし、言ってやる予定もない。

「もう三時か…。もう寝よう。」「何かさァ、目が冴えてもて眠られへんねんなァ。」 悠長に市丸はそう言って彼女の堕落した横髪をかき分ける。昼間は、きっちり梳かした髪の毛も夜はふんわりしている。普段なら「触るな」とかそういう風にしか答えてくれないのに「もう分かったから。」と言って男の割に細い市丸の手首を弱く触った。そういえば彼女の手は他の女の子よりも小さかった。そんなことも知らなかったのだろう。「急にどないしたん」と聞きたかったけれど、それどころでは無かった。
「なァ、」とあの京都訛りの声が薄ら緊張しているのを自身で感じる。無駄にのどが渇いた感覚が変な気分で食むように彼女にキスを送ろうとする、彼女はそれを無下にふいと横顔だけを見せて嫌がる。「さっきのクーラーの件?」と反省するフリをして申し訳なさそうにするが、あまり答えてくれなかった。確かに、そういうことに慣れてない訳でもないけれどどこか彼女は壁を作る。市丸は、そこが少し砕蜂の悪いところだと思ってわざと彼女のくちびるを蜘蛛が何かを噛むようにキスをしたり、わざとくっつくようにクーラーを入れて毛布に包まることにこだわる。幼く狡猾な真似ばかり、なのに嫌いと言ってくれないだけましだったかもしれない。

「蛇が私の首にまとわりつくようなの。」
「蛇?」
「そう。それをお前がなめとって、噛みつかれるの。」
「嫌やったら、嫌やて言いや。」
「そうじゃない、そうじゃないの。」

市丸は、ジワリジワリと襲う眠気と彼女の比喩的な断り方の半分も受け入れられなかった。距離を自分では作りたくなかったけれど、なんだか投げやりな感じがした。初めて沈黙を固く守っただろう、どうやって彼女へ接すればいいかとか変なことを考えた。
朝起きて、流れるように無駄な早さで生活を送る。展望台に上がると風がきつくて、ひらひらと彼女のワンピースがカーテンのように流れて行く。真っ白なそれに未明に告白された蛇がいるとは思えない。首筋は少し日焼けた跡で、真っ黒でシンプルな日傘をさしても日差しは彼女の透徹した肌へ浸透する。自分の存在が蛇のように嫌われる存在だったなんて、狡猾で幼いことを遠回しに嫌いといわれているあの感覚が悲しい。それなのに、自分はいつまでもまとわりつきたがるのだ。ああ、もっともっと浸食されればいいのに。それは、無意識に彼女のか細い腕を掴んで儚い希望を欲する。ふと、市丸は蛇のあの長さが自分をメタファー化されていることをふと考えられないことと重ねられていることに気づく。そういえば、指が長かった市丸はかつてからかわれたことがあった。昔どこかで聞いた、指と蛇が幼い子どもつまりは幼児たちには性器のメタファーに見える、と。酷い、なんて狡くて遠回しな拒絶のしかたなんだろう。きっと、こうやって抱きしめていることもきっと彼女が「はずかしいからやめて。」なんて断るのもそこからか。
 いいやきっと彼女は怖かったのか。まとわりつく蛇を気持ちいいなんて思う人はほとんどいない。しかも、ずっとずっと本音を言えなかったのだから。そうやって拒絶するのが精いっぱいなのに、きっと自分は何ひとつ気付いてやれなかったのだろう。何年もそうやって怖がっていたのだろうか、「お隣さん」のときなんて自分が好きで精いっぱいだったから、なんて言えないだろう。

「昨日はごめんなさい。蛇だなんて。」
「え…。」
市丸はキョトンとした。けれど彼女は辛そうだ。たまたまそうやって得られた知識を持ってすれば、の話だ。そう思ってないかもしれないが、彼自身の不安がぬぐえない。

「蛇、なんていくらギンだからって失礼ね。」
「もうええて、あのな。」
指が細くて、目は狐目。そういう顔つきも性格も謎が多かった、つまりあまり本性を見せなかったせいで人にからかわれていたり、不審がられていた過去を話してみた。たしかに、彼女が知っている自分はきっと彼女を愛していることと、出会った幼なじみと二人暮らしをしていたこと、お隣さんの付き合い大きくわけてもそれぐらいしかなかった。もう何年も一緒に居るはずなのに。逆に市丸が彼女のことをなんでも知っているかと言えば、きっとノーになるだろう。そういう過去もあったことを全て話した。

「そういうふうにからかわれてたし、きっと何年一緒にいてもそうや。」
「そうね、そういう風な人だって知れてよかった。」
「ありがとう。」

惰性的に流れたあの時間を取り戻すために、二人はたくさんの思い出を作ろうとした。そういうことは、少しずつ堕落的に流れる時間に任せて知ればいいのだ。それと引き換えに歳をとって、わだかまりが消えなくてもなにかが残るのだろうか。首に巻きつかれた蛇が少しでも取れたらいいのにね。でも蛇はねえ、しつけをすれば全然怖くないんだよ。それに、毒を持っていない蛇もいるんですって。蜘蛛も蛇も天道虫と同じで、害虫や鼠を食べてくれるねんて。ただ暗いから、怖いだけ。君がお天道様のいるとこに連れ出してくれたらうれしいなァ。

「この長い指が髪を梳くンやて変わった蛇。」にやり、やはり市丸は謎に包まれている。

再び伏して願ふならば、蛇蜘蛛が歪んだその思想を食ってやれないか。

蛇蜘蛛
20100813 そらまめ*くらちゃんへ

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