Short Story3
□雫をこぼすは、
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(貴方なんて嫌いです)
あの人はいつも、何をしても微動だにしなかったから。
(二度と近付かないで)
何度ひどいことを言っても、何度ひどいことをしても、直ぐに立ち上がって愛の言葉を囁いたから。
(こんなことされても迷惑だわ)
ひどいことを言い続けられたのは、きっとどこかで勝手に確信していたから。
『この人はどんなになっても決して諦めない。ずっと私を好いている』
『何度拒絶しても直ぐに立ち上がるのはポジティブで、どんなにひどい言葉も気にしないから』
なんて自分勝手でひどい妄想。
思い込みもいいとこだわ。
あの人が溢れる程くれる優しさ、愛情が心地よくて甘えてた。
(誰だって好意を寄せる相手にいわれ続けたら諦めるしかないじゃない)
長い間ひどい言葉をたくさんたくさん吐き過ぎて、貴方に対して吐く悪態に慣れて、反射的に言ってしまうようになった。
きっと感覚が麻痺したのね。
あの人だって傷付く。
「少しも傷付かない」なんてある訳がないのに。私はなんてひどいことをしたんだろう。
「お妙さんが好きです」
「私は嫌いです」
「……そう、ですか」
初めて──否、違う。
私は今まで見て見ぬフリをしていただけなのかもしれない。
本当は何度も浮かべたであろうあの人の傷付いた表情を。
彼はいつも平気そうに笑顔で居るんじゃなく、その笑顔は悲しみを押し殺す為の、無理矢理貼りつけた作り笑いなのだということを。
「…ハッキリ答えてくれて良かった、」
「……え、」
何時ものように来たあの人。
今日は何故か複雑そうな顔をして、何時もより真剣に、静かにただ一度だけ愛の言葉を囁いた。
「ありがとうございます、お妙さん」
それを私はいつものように辛辣な言葉で拒絶した。そう、私にとっては何時ものこと。
「今まで、ありがとうございました」
彼が愛の言葉を囁いて、私が彼を殴って、帰る。それの繰り返しが日常の一部だったから。これからもそうなのだろうと安心していた。
「今までたくさん迷惑をかけて、すみませんでした」
ぬるま湯のような関係が心地よくて、彼の異変にも気付かず。
何時ものように見て見ぬフリで。
「…最後に貴女の気持ちを聞くことが出来て良かった。これでようやく決心がつきました」
「……何、」
だけどその日、彼は泣きそうな顔をした。
悲痛に顔を歪ませた顔を見て、私は自覚したのだ。
今までたくさん彼を傷付けたことを。
彼に『なんてひどい仕打ちをし続けてきたんだろう』と。
(私はなんてひどい人間なの)
「……実は、再来月結婚することになったんです」
「──…え?」
「上からの命令で…所謂『政略結婚』というヤツなんですがね」
俺は貴女が好きでした。
だから政略結婚なんてする気はなかったし、断っていたんです。でも相手方やお上の体面もある。
だから少しの間時間を貰ったんです。それでフラれたらきっぱり諦めるって約束で。
俺にとっての心残りは、貴女だけだったから。
「今まで、本当にありがとうございました」
「…そう、」
「貴女を好きになれて、幸せでした」
「…」
呆然としながら、話を聞いていた。ただ、彼が口から紡ぐ言葉を一つも聞き逃さないよう真剣に耳を澄ます。
どうかお幸せに。
お元気で。
さようなら。
まるで安いドラマのワンシーンのような台詞ね。ただドラマと違うのは、これはドラマなんかじゃなく現実に起きていることで、決してハッピーエンドにはならないってこと。
(冷静を保っている筈なのに、)
(動揺で動けないのは私)
(彼の背中が)
──待って、
(ゆっくりと)
──ねえ、お願い
(一歩ずつ)
──お願い、待って…!
(遠ざかっていくのを)
──私、私まだ何も、
(近藤さん……!)
見ていることしかしなかった。
──否、出来なかった。
どんなに心で叫んでも弛緩した身体から、喉から言葉は出て来なかった。
(──…近藤さん、)
目の前が歪むのは。
涙を零したのは。
──誰?
雫をこぼすは
私か彼か、
(どちらにしても行く末に)
(待っているのはバットエンド)