彼女の幸せ

□静かな刻
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母、夏枝の死去から月日も経ち、茉莉は度々沢田家へ出向いては奈々に家事を教わった甲斐もあって、その腕も大分上達した。

武と茉莉は十歳になり、母を亡くした心の傷も大分癒えてきた頃。
茉莉は、買い物の途中で年上の友人を発見した。

「きょうちゃん?」
「茉莉」

未だ舌足らずな愛らしい声に呼ばれて振り向いた恭弥は、両手に持っていた赤く染まったトンファーを、茉莉の目が捉える前に素早くしまった。

「買い物かい?」
「うん。きょうちゃんは…?」
「散歩だよ」

しれっと嘘をつく恭弥だが、それは茉莉を思ってのことだ。
第一、茉莉に正直に「群れてる草食動物を咬み殺してたんだよ」なんて言えば、危ないことはしないで、と涙目になることは明らかではないか。

「おさんぽ?ひとりで?」
「そうだよ。茉莉以外と群れる気はないからね」
「?」

理解できなかったのか首を傾げた茉莉に、恭弥は違う話題を振る。

「料理、少しは上手くなったの?」
「うん…たぶん。まえより、つくれるのは おおくなったよ」

控えめな答えは、なんとも茉莉らしかった。
恭弥はふぅん、と相槌を打つと、茉莉の髪についた花弁を摘まんで取り、緩やかな風に乗せた。
ひらりひらりと舞う花弁を、茉莉は「きれい」と目を細めて見つめる。

「買い物、終わったの?」
「ううん。まだ、とちゅうなの」

そう言って笑う茉莉の手から買い物籠を取ると、空いている右手を差し出した。

「?」
「行くよ」

その言葉に、買い物に付き合ってくれるのだとわかった茉莉は顔を綻ばせた。
小さな手が恭弥の手に重なる。

「ありがとう、きょうちゃん」

返る言葉はなかったが、僅かに見える横顔は満足そうだった。

「茉莉がもう少し大きくなったら、お花見をするよ」
「おはなみ?」

コクンと首を傾げる茉莉へ、恭弥はすかさず言葉を続けた。

「二人でね」
「じゃあ、おべんとう…つくらないと、ね」
ふわりと笑みを浮かべた茉莉に、恭弥も珍しく表情を和らげる。
穏やかな雰囲気の二人の周りを、桜の花弁がはらはらと散っていった。

「さくら…きれいね」
「うん」
「おかあさん…さくらがすきだったの…」

そう語る茉莉の顔には、もう哀しみの色はなかった。
けれど、繋ぐ手には縋るかのように僅かに力が込められて。

そんなに簡単に思い出にできるはずがない。
この幼さで最大の庇護を与えてくれる母親を失ったのだから。
それでも乗り越えようとする茉莉は強いと、恭弥は思っていた。
けれど、彼女はひどく脆く儚いところも持っている。
それを補いたい。
そうも思っていた。

「茉莉。僕の傍を離れちゃ駄目だよ」
「え?あ、うん」

きっと買い物の間のことだと思っているだろう茉莉に苦笑が浮かぶ。
それでも、今はそれで許してあげようと思った。

それは全て、茉莉が愛しいがため。
それ以外に、理由など存在しない。

「行くよ」
「うん」

素直に肯いて手を引かれるままに歩き出す茉莉が愛しくて、口元が弛む。
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