(TOA:ジェイド)
「ジェイドは少し馬鹿になった方がいいと思うのよね、私」 「…はい?」
唐突な語りに、珍しく素っ頓狂な声を上げてジェイドは本から目を上げた。
「何です?毎度の事ながらいきなりですね」 「私はいきなりな女なのよ何事も。知ってるでしょ」 「ええまあ、それなりに。それで?今回のいきなりは何をどう考えた結果のものなんです」
「いきなり馬鹿になれとはあんまりですね」と言いながらぱたんと本を閉じる。栞を挟まないところを見ると、もしかしたらもう何度か読み返しているものなのかもしれない。きっと頭の中に内容は入ってるっていう事だろう、これだから天才は…。 思考が愚痴になりそうだったので軌道修正。読書を中断したって事は、それなりに私との会話に興味を持ったって事だろう。続きを促すような赤い目からの視線に、窓の外を眺めたまま私は言った。
「無駄に頭がいいから色々な事難しく考え過ぎなのよジェイドって。たまにはああもういいや、って適当に投げればいいのに」 「どうにも要領を得ませんが、つまりはここのところ根を詰めている私に休めと言っているんですね?」 「…これだから頭のいい奴は嫌なのよ」
わざと内容をぼかして遠回しに言ってるのに、少し話しただけで言いたい事を察してしまう。 ちらっと振り返って見えたのは食えないいつもの笑みで。
「いやー、ありがたいですねぇ。こんな年になっても心配して下さる女性がいてくださるとは」 「下らない事ばっかり言ってないでさっさと調べ物なり仕事なりすれば」 「おや。先程と仰っている事が真逆のような気がしますが。意見をころころと変えられるのは頭の柔らかい若い人の特権ですか」
つまり馬鹿はそっちだって言いたいのよね、余計なお世話だわ。 嫌味にわざわざ落ち込んでなんてやらない。私はふん、と鼻で笑ってやった。
「そうね、だから頑固なおじさんが気の毒。一回こうだって確信したら、それ以外の意見なんて認めようとしないんだもの」 「ああ…まあ、そういう人もいるにはいますね」
あんたの事よ、あんたの。心の中で呟いて、私は肺から溜まった二酸化炭素を吐き出した。 色々溜め込んでも意味なんてないのに。いくらいつも飄々としてようが、たまにキツそうな顔をしているのを私は知っている。 過去に何があったかなんて、いちいち聞き出そうなんてしないけど。それに今だって、読んだ事のある本まで引っ張り出して読み漁って、必死になって何かをどうにかしようとしている癖に。
「…馬鹿になれば楽なのに」
平気な顔しながら、何でも背負い込むのは自覚してるのか。それとも無自覚なのか。やっぱり、頭のいい人間の考えてる事なんて私には計り知れない。 言いたい事も上手く纏められず、口に出して伝えも出来ない。伝わったとしても精々言いたい事の半分。私は凡人だから、所詮はその程度。 小さく聞こえないように呟いて、また視線を窓の外にやった。
「私は馬鹿になんてなれませんよ」
はあ、と。溜息が存外近くでして私の意識は浮上した。窓を見ると、見慣れた青色が映って、ジェイドがすぐ後ろにいる事を示している。 気配を消して後ろに立たれるのはいい気分じゃない。文句の一つも言ってやろうと振り返ったが、予定の文句が口を出るより先にジェイドが言った。
「馬鹿な男が馬鹿な女に惚れただなんて、目も当てられないでしょう?」 「……ん、ん?」 「この意味も分からないなんて、本当に貴女は…」
「お馬鹿さんですねぇ」なんて。 なんでそんな嫌味、そんなに優しい目をしながら言うのよ。
いきなりはどっち
(あんたにいきなりなんて、言われたくない)
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