05/20の日記

03:13
感情リレー2
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さてみなさん、感情リレーで最後のおいらの質問わかりましたか?この質問の答えは…答えは無数にあります。それぞれにとって最善な方法があると思います。じゃあ何故あんな質問をしたのか…。その答えは…考えて欲しいからです。

感情リレーをしたあとよくおいらは「リレーをして」と言います。大概の子は「うわぁ〜!!!」みたいなことになります。この「うわぁ〜!!!」が問題なわけです。この「うわぁ〜!!!」は手ごたえがあったのに「リレーをしろ」と言われることによって出るワードだと思うわけです。この「リレーして」発言をされたあとは2点に分かれると思います。「足らない」と「違う」の2点に…。

「足らない」と判断した場合、当然方法論は変えずより集中して「感情リレー」に望むはずです。だけどやはり「リレーをしろ」と言われたとします。さて貴方は何を考えますか?1回目に言われた時と2回目に言われた時…何が違いました?そこをちゃんと分析しましたか?何度やっても何度やっても同じことを言われるのであれば方法論が違うんじゃないですか?

「伝わらない」ものは何回やっても「伝わらない」と思いますよ。何かを変えなければ…。

ちなみに多くの人が「感情リレー」で感情を創り出すことで終わっています。だから別々になり、つまりは「リレーして」に行き着くわけです。感情リレーの本質は感情を共有することにあります。共感や同情と言ったものは頭で考えて出来るものではないと思っています。想像してみてください。恋人と別れとことを悲しむ人を観察しているあなたを…。嫌われない為に同情しているふりをしているあなたを…。同情しているふりを見破られた時の恥ずかしさを…。想像してみてください。

ただ頭で考え、相手を観察して同情出来る人が絶対いないと言うつもりはありません。頭で理解してから共感や同情する人もいると思います。そうなんです。観察することが悪いことではないんです。どれだけ観察しても相手に観客に感じさせなければいいんです。テクニックを駆使して「リレー」しているようにみせれればいいんです。でもきっとたぶん…そのテクニックを身につけるのは非常に難しい…と思います。

少し脱線しましたが今日言いたかったのは同じことを何十回何百回やっても変わりませんよってことです。何万回までいったら出来るかもしれません。でも何万回もする時間があるなら一回一回を大切に常に考えてキチンと自己分析してやったほうがいいと思います

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