RKRN駄文

□リモニウム(鉢雷)
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何故、涙なんて出るんだろう。

以前は三郎の事を思えばこの身を包み込むのは温かい気持ちと喜びだった。
けれど今は、痛みと涙しかない。
彼は誰よりも大切な人で、彼の笑顔を見ればどんなに落ち込んでいても僕は元気になることが出来た。
彼と共にあれば、そこには笑顔しか生まれないと信じていた。

「……どうして…こんな事になっちゃったんだろう…」

自分に問い掛けても、無意味なのはわかっている。
この問の答えが導き出せるなら、こうして悩んでいる現状は存在しないのだから。

もう何度目になるのかも解らない質問を無意識のため息を零すように呟くと、夕食もとらずに湯を浴びた。
食欲なんて気付けば消えてしまい、もう自分に残されているのは、三郎に早く帰ってきてほしいという願望だけだった。
無気力ながらもとりあえずは汗を流し、さっさと床に就こうと思う。

眠りにつくのは、今日も無理なんだろうと思う。
けれど出来る事ならば、じき戻って来る三郎が纏う女の香を嗅かずに、何も知らないまま明日を迎えたい。
そんな叶わぬ願いを胸に抱きながら僕は、いつもの様にいつ頃戻るか解らない三郎の布団を敷き終えると、さっさと自分の布団に潜り込んだ。


*****


「……あ…起きてたのか…」

「…うん」

 何時間かぶりの三郎の声を聞いたのは、やはり日付が変わってからになってしまった。
彼は僕が眠っているかもしれないと読んだのか、それとも忍なら自然と身につく習性の為なのか、物音を立てずに扉を開いて、この部屋に戻ってきた。

けれど、彼に纏わり付く香りはそのままで、そこに少しでも触れずにいたい僕は、三郎に背を向け横になる姿勢を変えることは出来なかった。

「寝てて良かったのに」

「―…寝てたよ。でもなんだか寝苦しくてちょこちょこ目が覚めちゃって……」

「……そっか」

 適当な言い訳をした僕だが、あながち嘘でもない。

僕たちの住む部屋はなかなか風通しの良い場所にあるが、今の季節は真夏と呼べる時期にあたる。
いくら風通りが良くとも、肝心の風が止まってしまえば、部屋には熱気が篭り、体にはじわりと汗が滲むのは仕方がなかった。

今日も熱帯夜と呼べるような蒸し暑さで、三郎への気掛かりがなかったとしてもそうそう眠りにつくのは困難と言えるだろう。

ある意味では言い訳の助けとなってくれたのか知れなかったが、逆にこの篭った熱と空気のせいで、彼から漂う甘ったるいだけの品のない香りがより濃密に広がりをみせた。

「……早く汗流して休んだほうがいいよ」

 本当に流して欲しいのは汗などではなくその香りだとは言えず僕は、労いを装いそう言った。

「……ん。そうする」

 僕の意図なんて知るはずもない三郎は、もう一度僕に寝ておくように促して、湯浴みをすべく部屋を出た。

「………っ…」

 彼も、汚らわしい匂いもこの部屋から遠ざけたはずなのに、一度篭った空気は滞ったままで、僕の鼻の奥をかすめては、この胸を蝕む。

「……ぅ…」

 ―――…気持ちが悪い。
頭も締め付けられるように痛み、呼吸と共に体内に流れこんだ香りに汚された胸が苦しくて思わず胸元に爪を立てると、そこは焼けたように疼き始める。

 ただでさえ汗ばむ額や背中を更に汗が伝う。
もう何も考えたくはない。
眠ってしまえば、考えずに済む。そう願っても、意識を手放すことはできなくて、更に布団の奥へと潜り込んだ。

こんな暑い時に、自らこんな事をするなんて馬鹿だと思うし、きっと体にだって良くはないだろう。
けれど、あの匂いから逃れられるのであればどうでも良かった。
それに何より、こんな姿を三郎には知られたくはない。

きっと…、すごい顔をしていると思う。
今の僕にはこの痛みと苦しみに対抗するのが精一杯で、何も知らずに戻ってくる三郎に、どんな顔をして会えばいいのかが解らなかった。



*****
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