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□おやすみ、私の愛しい人
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「私も中国語が話せるようになりたいなぁ」


突拍子も無くそう言うと、目の前の謝必安さんは呆気に取られたようにポカンとした顔で私を見た。私も中国語が話せるようになりたい。そしたら謝必安さんや范無咎さんと会話が出来るようになるかもしれないのに。以前中国語を使っていた謝必安さんを思い出しながらそう言うと、謝必安さんは少し困ったように笑って私の頭を撫でる。

私は全然中国語とか分からないけど、謝必安さんの中国語は凄く綺麗でずっと聴いていたいと思った。こういうの何て言うんだろう。聴き心地がいいって言うのかな…。静かに発せられる発音一つ一つが、とても丁寧で優しくて。まるで好きな歌を聴いている時のような心地よさがあった。同じ中国語でも、少し早口で荒々しい感じの范無咎さんとは全然違うんだなって感じた。なんて、そんな事を言ったら范無咎さんに怒られてしまうだろうか。


「ねぇねぇ謝必安さん、何か私に簡単な中国語教えてよ」


顎に手を当てて考える素ぶりを見せる謝必安さん。暫くすると私に向き直って、「你好」と言うので発音を真似てニーハオと言ってみる。パチパチと小さく拍手をする謝必安さんが可愛い。謝必安さんが可愛いのと褒めてくれたのが嬉しくてえへへと小さくハニカムと、謝必安さんの唇が次の音を紡いだ。


「晚安」

「わんあん?」


聞いた事のない単語に小首をかしげなら復唱してみる。謝必安さんが手の平をきっちりと重ねるなり、傾けた首の近くに持ってきて目を閉じたのであぁ!と声を上げた。


「分かった、おやすみなさいの意味だ」


謝必安さんが微笑混じりに小さく頷く。月が煌々と輝いている今にピッタリの言葉だと思った。「再见」そんな月明かりに照らされながら、ヒラヒラと手を振って言った謝必安さんにふと寂しさを感じて思わず空いてる方の手をぎゅっと握る。ざいじぇん、さようなら。こんなにも胸を締め付けられるように苦しくなるのは、きっと相手が謝必安さんだから。私の心情を見抜いたように、謝必安さんは苦笑しながら私の手を柔らかく握り返す。


「我喜欢你」

「…?ウォー、シーファンニィ」


今までの単語に比べると少し長くなったそれ。正しい発音を覚え切れなくて大分片言になってしまったように思うけれど、謝必安さんはどこか満足そうに笑ってもう一度言葉を口ずさんだ。


「老公,我喜欢你」


うわああ、更に長くなった。「ら、ラオゴン、ウォーシーファンニィ」辿々しく何とか謝必安さんを真似て言ってみる。我ながら酷い発音だと思って謝必安さん!もう一度お願いします!と意気込むと、謝必安さんはもう一度ゆっくり発音してくれた。出来るだけ正しい発音を脳に刻み込んで、私はなるべく丁寧に一つ一つの音を発していく。


「らおごん、我、喜欢你、」

「…」


す、少しはマシになったかな。それで今のはどういう意味なんだろう?と思って謝必安さんを見上げてポカンとなった。口元に手を当てて私から目を逸らす謝必安さんの顔がみるみるうちに真っ赤に…


「えっ、なぁに…?」


謝必安さんは私に何を言わせたんだろう….気になる!そう謝必安さんに訊ねるけど、謝必安さんはヒラヒラと手を振って私をあしらうだけで教えてくれない。え〜っ、気になる…。そんなに恥ずかしい事を言わされたのだろうか…。


「…!謝必安さん、」


私の手を取った謝必安さんが、ゲートを指差して歩き出したので大人しく後を付いていく。そうだ、帰ったら辞書を引こう。それまで発音を忘れてしまわないように、呪文を唱えるみたくさっきの言葉を口の中で繰り返した。「…ラオゴン」一番忘れてしまいそうなその単語を強く印象付けようとしているとつい口から溢れて。ピクリと謝必安さんが反応を見せながら照れたように唇を軽く噛むからつられて胸の奥がくすぐったくなった。

やがて既に開けられているゲート前へと辿り着く。ゆうるりと手を離そうとした謝必安さんの手を咄嗟に繋ぎ止めてぎゅうと強く握った。少し驚いたような顔で私を見る謝必安さん。月の光が明るく私たちを照らしている。本当に素敵な夜だった。


「…私、まだ謝必安さんと再見したくない」


なんて、困らせてしまっただろうか。でも謝必安さんはクスリと小さく笑って、おもむろに私の手を取ると、そのまま手の平に人差し指で文字を綴り出した。一画一画丁寧に、意識を集中させて見えてきた文字に、私の心臓が甘くキュンと音を立てる。


「(我、愛、你…)」


直接声に出さない謝必安さんは中々の恥ずかしがり屋さんだ。でもそこがまた好き。愛おしくて堪らなくて、まだ離れたくない。そう思うのに。謝必安さんにそっと顎を掬われて優しく唇を奪われた。おやすみのキスはさようならの合図。慈しむように私の頭を撫でながら、謝必安さんは名残惜しそうにゆっくりと手を離した。


「晚安,我的爱人」



20190227

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