Novel
□記憶の中の
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その日は丁度、ラースは定期的に行われる診察の日であった。
毎度監獄の中で行われ、外と中に一人ずつ看守が見張りとして待機していることが決まりだ。
診察というのは、簡単な身体検査とラースの場合、例の事件周囲のことについての認識や、記憶がどの程度のものなのかを問う問診が付け加えられる。
今までは「知らない」「分からない」で通していた。
だが今回は違った。
自分の弟であるカーティの死は、ボリスが原因であることが判明したのだ。
憤りにも似た感情を抱いたが、どういうわけか、そのことを思い出すまでには至らなかった。
つまりは未だにカーティの死については、はっきりとしないままなのだ。
今まで以上に、ラースはカーティの死の真相を知りたくなる。
そして自分のこの状況と、カーティの死はどう関係しているのかと。
なぜ自分はここまで、弟の死を忘れてしまっているのだろうか。
ボリスはなぜ、カーティを殺したのか。
真実の断片を知ることで、ラースは日を追うごとに自分の失った記憶を欲した。
診察日であるその日。
看守は新たな服役者が来ることに追われ、たまたまその日の数分だけ、いつもの見張りの内の一人が姿を消した。
医者の単調な質問を坦々と答えながら、ラースは牢獄の外をみた。
「…で、思い出したことは?」
「え…?」
「弟が死んだことで、何か思い出したことは?」
何度もきいたこの質問。
今は以前と全く違う心持ちで聞いている。
何も言わないラースを、初老の医者が眼鏡の奥にある目でじっと見据えた。
「ああ…、分からない」
いつもの言葉を自動的に吐きながら、ゆっくり目だけで監獄の周囲を見る。
医者からやや離れた位置にいる看守の腰に、警棒が見えた。
自分が何度も殴られた警棒だ。
「少しも?」
この痩せた、年老いた医者を突き飛ばすことは難しくないだろう。
「…全く」
質問は恐らくあと2回。
“マフィアにいた頃のことをどう思うか”
“今の状況をどう思うか”
自分がそれに答え、記録をしようと医者が視線を手元の用紙に落とした時がチャンスだ。
ラースは手を膝の上で軽く握る。
監獄入口付近を見ている看守の姿が視界に入る。
恐らく、新しい“問題児”が入ってくるので気になるのだろう。
耳をすませば、トラックが砂利を走る音が聴こえてくる。
あの堅い扉が開くのも今だけだ。
「…どう思うか?」
何も答えないラースを、医者はまた眼鏡越しでじっとりと見てまた繰り返した。
「現状を、どう思うか?」
ガタンと、大きな扉が開く音が監獄に響く。
現状をどう思うか。
とりあえず、死なないようにここから脱け出すことしか考えていない。
ラースは軽く握っていた手を、もう一度強く握り締めた。