S.S.

□死の杯を
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いつもと同じ様に、俺が恋人を抱いた後のことだ。

その日の夜は、冷たい雨が降っていた。

鬱陶しいだけでなく、身体が芯から冷える、最悪な雨。


はっきりとした腰骨と、柔らかなカーブを描く身体をもつその女は、ことが終わり、布団に身を沈めていた。
夜の12時。
割りに規則正しい生活をしている彼女にとって、眠気を感じる時間帯だ。
やや潤いを失った、唇を小さく開けて欠伸をしている。

「…ボリス。明日も仕事なの?」

女は眠そうな声を上げ、俺の背中に触れた。
ひんやりとした感触が、熱さの残る身体に伝っていく。
体を起こし、俺は女を振り返らずに、ああと答えた。
その場に投げた下着と制服を身に付け、ポケットから煙草を取り出す。

「そう、つまらない。最近忙しいのね。」

恋人である自分とゆっくり出来ないことが分かり、彼女は不満げな声を出す。
俺はそんな彼女の気持ちを流し、カチリと無機質な音をたてて加えていた煙草に火をつけた。
背後でシーツが摩れる音がし、彼女が体を起こしたことが分かる。

「ねえちょっと、聞いてる?」

不満というより怒りが含まれた言い方。
彼女と付き合ってまだ3ヶ月にも満たないが、こんな言葉はもう何度も聞いた。
女がよく発する、相手の男を責める声と言い方。
まだ半分以上残った煙草をアルミの小さな灰皿に押し付け、俺は振り返り彼女を見た。
目の前に、不機嫌そうな顔をした彼女。見事な金色の髪は、彼女の顔に僅かに貼り付いていた。


「…ハナ、別れよう。」


湿った空間に、ライターと同じように無機質な自分の声。
彼女の木の実のような、楕円の瞳が自分を見据える。
先程不満な言葉を発したその唇が少し開き、暗く黒い空洞が出来る。

「…どうして…?」
「……。」
「何とか言ったらどう…?」

徐々に涙声になる彼女の手が、シーツを掴む。
そこを中心に、シーツは波紋のような皺を作った。

「他に女ができた。」

俺はあっさりと残酷なことを彼女に告げた。
あまりに呆気なく言うものだから、彼女は口をさらに開けてかたまっている。
しかし瞬時に、俺が浮気をしたのだと悟り、力一杯に枕を投げつけた。

「さいってー!!あんたそれで私と寝たわけ!?」

失望よりも怒りに満ちた声。
プライドの高い彼女は、俺が心移りしたことよりも、他の女を抱いた身体で自分の体が抱かれたことに嫌悪するのだろう。
すぐに立ち上がり、投げ捨てられた下着を身につけ、あっという間に彼女は俺の女ではなくなった。
まるで殺虫するかのように、香水を自分の身体に振り撒いている。
転がっているバッグと掛けられたコートを引ったくり、女は確かな怒りに満ちた眼で俺を見た。

「じゃあね、無駄な時間をありがとう!」

ドアが壊れるかと思うほど、大きな音をさせて開け放つ。
すると何かに気がついた顔をして、女はバッグを漁った。

「こんなものいらないわ!その女に使い回したらどう?」

女がバッグから取り出しこちらに投げたのは、華奢なデザインのブレスレットだった。
確か、バースデープレゼントで俺が贈ったものだ。

「あんたのこと…本気になってた私が馬鹿みたいよ…。」

ギュッと口を引き結び、女は俺を滲んだ瞳で睨んだ。
ブレスレットが鈍く光る。
何か言おうと、告げようとしたが、俺はそれを飲み込んだ。
怒りと失望を真正面からぶつけられ、その相手をじっと見てられるほど、俺は人間ができちゃいない。
俺は女ではなく、女の投げたブレスレットに視線を移す。
女は何か納得したのか、先程とうってかわって静かにドアを閉め、部屋を後にした。

パタンと乾いた音が、部屋に響く。

ため息を吐き、ブレスレットを机に置いた。
いつものように、自分の口へ煙草を運ぶ。
暖色系のライトに照らされた部屋。
ベッドや鞄の影が、黒く僅かに伸びていた。
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