Novel

□隣にいる人
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そうなんだと、コプチェフは他人事のように呟く。
コプチェフはミリツィアという職に就いてから、生死をさ迷うような危険な任務にあたることは何度かあった。しかしボリスと組んで以来、そのような任務に携わりつつ、どこか歯痒さを感じるようになっていた。
それはきっと、直接的に生と死の問題に直面するのが自分ではなくボリスだからだろう。
コプチェフは運転手だ。任務の標的となる犯人が複数であったり余程凶悪でない限り、コプチェフが彼等を手にかけることはない。
さらにボリスのような有能な狙撃手であればなおのこと、コプチェフの手が必要になる確率は少ない。
いつも助手席に相棒を乗せて運転し、任務が終えるのを一人で待つことに何となく自分の無力さを感じてしまう。
同じ年であり、相棒であるのにこの差…。
しかも生と死に関わる大きな差だ。

「…死刑囚でもボリスなら楽勝じゃない。」

先ほどまでボリスの過去の告白について考えていたのに、任務に関する話題を振られたせいか少々苛立ちの含まれた物言いになる。

「そうとも限らねえだろ。」
そんなコプチェフの苛立ちを流し、新聞の記事を読み続けるボリス。
このボリスのもつ余裕はどこから来るのだろう。
余計に自分の力のなさを実感してしまう。
思わずコプチェフはため息をついてしまった。

「…なんだよ、ため息なんか吐きやがって。」

ざっと読み終わった新聞をたたみながら、ボリスは怪訝な表情でコプチェフを見た。
何と返していいか分からず、コプチェフは適当な返事をして本音をコーヒーと一緒に流し込んだ。

「それ飲んだらもう行くぞ。」
機嫌をやや損ねたコプチェフに、ボリスはさして気にとめない。
それよりも頭の中は、任務などといったかたい内容に溢れているようだ。
上着を羽織り、既に外を向いた視線。
そんなボリスの姿に見入っている自分に、コプチェフははっとする。
何を男相手に見つめてるのか。
目を覚ませと、コプチェフは頬を両手で叩き、立ち上がった。
今夜あたり、ぱっとどこかへ飲みに行くかと思い巡らせながら。



一仕事終え、コプチェフはいつしかのバーで一人酒を楽しんでいた。
周りには幸い、あまり人がおらず至って静かだ。このバーに特有の木の匂いと、僅かな煙草の香り。
あの事件以来初めてこのバーに来る。
久しぶりなこの店の雰囲気と酒を味わうのは、一人の方がいい。

「今日はあの兄ちゃんは来ないのかい?」
カウンターで酒をつくる初老のマスター。
このマスターの抱えていた問題は、コプチェフの計らいもあり今やキレイに片付けられた。
だから今日また、マフィアの残党などといった邪魔が入るようなことはない。

「今日は俺一人だよ。」
「そうなのかい?この前のお詫びに、今日は美味い酒をご馳走しようと思ってたんじゃが…。」

以前の事件でボリスにも世話になったことを、マスターはまだ気にしているようだ。
今からボリスを誘ってもいいのだが、何となく今日は一人で飲みたい。
マスターには悪いがボリスを呼ぶのは止めておいた。

「今度連れてくる。今夜は俺の相手してよ。」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、コプチェフはチーズをつまんだ。
「ははっ、やけに寂しいこと言うねえ。若いんだからこんな老いぼれ相手にせんでも。」
「まあ俺はマスターが好きだからねえ。」
「お前そんなこと言いおると、女運が無くなるぞ〜」

豪快に笑いながら、マスターはコプチェフの目の前に酒を置いた。
酒のせいで気持ちが浮わついているのだろう。
明日も仕事なのに、酒のペースがはやい。
出されたばかりの酒のグラスが、たちまち空になっていく。
自分を責めるような飲み方をするのは、酒のせいだけではないのだが。

突然バーのドアの向こう側から、にぎやかな声。
団体での客だろう。
ドアを開ける音と一緒に、複数人の笑い声がバーの中へと侵入してきた。
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