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□散る花
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これまでとは違い、伊作の暴力は激しかった。
殴り、蹴る最中、あいつは嫌に冷静なので、顔に傷がつけば、周りから何かしら勘繰られるという考えが働くんだろう。
伊作はこれまで、決して顔に傷を作ることはしなかった。
一つ咳をすると、胸が痛む。
思わず顔をしかめれば、それにつられ、傷のついた口元や痣ができつつある目元にも、痛みがはしった。

伊作は散々俺を殴り、蹴り、そしてその場を後にした。
どこにいったんだろうか。
時刻はそろそろ子の刻ぐらいだろう。
あいつが戻ってきたら、また何かされるんだろうか。
俺が助けを呼んだら、一体どうなるんだろうか。
ふとそんな考えが浮かんだが、そんなことは多分やらないだろうと、ひとりで納得する。
そうする理由が見つからないからだ。
何で俺は、こうまでして伊作の暴力に抵抗しないのか。
第三者からみれば、当然な疑問を自分に投げかける。

ふと、床が軋む音がして、横目で障子の先を見やる。
手足に緊張が走った。
わずかにでも警戒の体勢になるってことは、少なからず、伊作の暴力を恐れている証拠だ。
今までにないほどやられているので、これ以上傷つけられる事はないだろうが、それでも体は無意識に反応する。
だが、静かな足音は伊作のものとは限らない。
こんな状況を、他の誰かに見られたくはない。
明らかに問題のある状態だし、そして異様だ。
痛みで重い体は、苛立つほど緩慢な動きしかできない。
布団に入りさえすれば、誤魔化しはきくだろうと、上半身を起こして移動する。
途中で、鼻から出血したのか、上唇に生温かい液体の感触がひろがった。
静かだが、やや重みのある足音が、障子の前で止まる。
ようやく布団の前にたどり着いたのと、それは同時だった。

「おい、留三郎…起きてるか?」

潜めた声の主は、文次郎だ。
よりによって、なんでこいつなんだ。
こんな夜分に訪ねてくるのは、しかしかなり珍しい。
寝たふりを決め込もうかと思いきや、俺は反射的に返事をしてしまった。
痛みのせいでか、抑制がきかないのかもしれない。

「…なんだ、こんな夜更けに」
「やっぱり起きていたか、ちょっといいか?」
「今日はもう遅い、明日にしろ」
「いや、今でないとだめだ」

なら何で聞いた。
いや、それよりもこの状況を知られるのはまずい。
今回は顔に傷を作りすぎている。
夜の闇で分かりづらいだろうが、それでも相手は文次郎だ。
全く気づかない訳はないだろう。

「俺は眠たくてたまらねえんだ。明日にしてくれ」

何とか入ってくるのを阻止しようとしながら、布団に入る。
しかし、そうこうしている間に、あいつが入ってきやがった。

だからあいつは嫌いだ。




留三郎の様子がおかしいのは、以前から気づいていた。
動作の機敏性が近頃落ちている気がしていたし、実習でそこまで怪我をしていないのに、薬の匂いをさせていたのは、俺から見れば妙の一言につきた。
同室の伊作に聞けば、どことなく曖昧な答えとはぐらかされたような態度しか返ってこない。
別に留三郎を気にかけている訳ではないが、今夜、殺気にも似た雰囲気を放つ伊作が長屋から出るのを見れば、どうしたって気になる。
普段、あんな鬼気迫る状態の伊作を見ることはほとんどない。
近頃状態がおかしい留三郎といる部屋で、何か起きたと思って自然だ。
だが、俺が予想していた以上に、あいつの状態は最悪だった。

「明日にしてくれ」

と、部屋にはいるのを断られたが、その断り方も何かを隠しているような気がして、有無を言わさず障子を空けた。
部屋の中は灯り一つなく、暗い。
俺は一瞬にして嗅覚から異様な状況を察知した。
僅かに、血の臭いがする。
それが、今この長屋にいる留三郎のものだということは明白だった。
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