きたないこみばこ

□うさぎりんご
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「三国さん、この後時間空いてますか?大事な頼みがあるんです」
いつになく真剣な表情の神童。三国は身構えた。
何か新たな悩みなのだろうか。
脱いだユニフォームを畳んでいる霧野を見ると、なんですかという目で返された。
霧野も知らないことなのか…三国は頷いた。
多分、俺じゃなきゃダメなんだ。

 30分後、三国は神童と近くのスーパーで買ったりんご五個をカゴに、後ろの荷台起きに神童を乗せて、自転車を走らせ帰路についていた。
「本当にありがとうございます!」
後ろから神童が嬉しそうに、何度目か分からない礼を述べる。
「はは、もういいって神童」
「こんなこと頼んだら…三国さんに笑われるんじゃないかって、すごく心配してたんです」
「俺は別にそんなことで笑ったりしないぞ」
三国さん…と呟いた神童の嬉しそうな声。
「でも、俺料理とか今回が初めてで…包丁とかも触ったことがないんです。本当に今日でちゃんと出来るか心配です」
 明日、神童のクラスは調理実習がある。一年生の時もそれは一回あったのだが、班の中神童はずっと洗い物ばかりして調理を免れた。
しかし今回は、各自りんごの皮剥きをして完成品を先生に提出しなくてはならないのだ。
絶体絶命のピンチに神童は三国に助けを乞いたのだった。
 ガラリと弱気になった言葉に、三国はふぅっと息を吐いた。腹に回された神童の腕を見下ろした。
不安そうに握られた神童の手に、三国が片手を添える。
「心配するな!俺がおまえに一から教えてやるさ。まだ昼過ぎなんだし、たっぷり時間もある!」
神童は三国の背に顔を埋めた。うん、と頷いた神童の顔は赤いんだろうと三国は思った。

 三国の住むマンションに着いて二人はエレベーターを待つ。
「そういえば最近三国さんの家にお邪魔してないですね」
「言われてみるとそうだな。よくおまえに夕食作ってやったなあ…」
「三国さんの料理、すごく美味しくて俺大好きです。また食べさせて下さい」
「嗚呼、また今度な。その時は二人で作ろうな」
「えっ…は、はい」
ちょうどエレベーターが降りてきて二人は乗り込んだ。狭い空間に二人きり、神童は何も喋らなくなった。
「神童…?」
神童は三国の学ランの裾を掴んで、そこから探るように手を握った。
「恥ずかしいこと、言わないでください」
前を向きながら神童はぼそぼそと呟いた。
「顔、真赤だな…」
その顔を覗き込んで三国はそのまま顔を近付けた。が、
「あっ、ダメですっ!防犯カメラが……」
その気にさせておきながら抵抗した神童に、三国は込み上げる笑いでプッと吹き出して顔を離した。エレベーターが止まると、神童は自分から繋いでいた手を解いて足速に三国宅へ向かった。
「変な奴だな全く…」

 家の中は誰も居なかった。
二人は学ランを脱いでエプロンを着るという出で立ちで、いざりんごに向かい合った。
 まずは三国がお手本を見せる。慣れた手つきでスルスルと皮が剥いていかれていくりんごに神童はじっと魅入った。最後に四等分に切って、皿に盛り付けて神童に出した。
一つ食べながら神童は自然と微笑む。
「美味しいです」
「それはよかった。さ、次はおまえの番だ」
包丁の持ち方から教わり、神童もりんごを切りはじめた。分厚い皮に、すぐ切れて皮はボロボロと落ちる。
「くっ……どうしてっ…!?」
「ははは、手に力が入り過ぎだぞ」
「こ、こうですかっ?」
ぎっぎっぎっと音を立てながら、果実の中に包丁が入り込んでいく。
「違う違う。こう」
神童の後ろから手を伸ばして、三国は神童の上から包丁を握る。
「わっ、三国さ……」
神童は三国を見上げる。
「ここの指はこっち。親指は大体この距離に当てて……」
神童に教えるのに真剣な表情をしている三国は、サッカーに真剣になっている時とはまた違う真剣な表情だった。
 自分に真剣に向き合ってくれている三国の瞳に、神童は頬が熱くなった。
「…神童、聞いてるか?」
「え、あっ…は、はい!!こここ、こんな感じで…!」
三国は添えていた手を離した。神童が改めて皮を剥きはじめると、厚さこそあるものの今度はりんごの皮が上手く剥け始めた。
「おっ、うまいぞ神童。そんな感じだ」
 ぼこぼこに剥けたりんごを四等分して、種の周りを切る作業も三国の教えでなんとかできた。

時間がかかりすぎて変色していたりんご、先ほど三国が剥いたりんごと比べて、神童は溜息をついた。
「三国さんってやっぱりすごいですね…」
それを聞いて三国は大笑い。
「今日初めて包丁握った奴が、普段料理してる奴と比べるなんて、あははは!!」
「そっ、そうですけどっ…」
三国は笑って出た涙を拭って神童の頭に手を乗せた。
「神童、初めてにしちゃ上手いぞ、すごく。正直俺も驚いた。」
「あ、ありがとうございます。三国さんの、お陰です」
「教え甲斐があるよ」
にこ、と笑う三国に神童はどきりとして胸を押さえた。
じっと神童を見つめる三国に、神童は予感に唾を呑んだ。

「そうだ!!焼きりんごにしよう」
「え?」
三国は棚から砂糖を取り出して、神童の切ったりんごにかけはじめた。
「体温と時間で変色して味が落ちたし、でもせっかく初めて神童が作ったものを捨てるのも嫌だったから…」
レンジにそれを入れて時間を合わせている三国を、神童は呆然と見るばかり。
「焼きりんごは美味しいぞ」
レンジが音をたてて回りはじめた。
「あの、三国さん…」
「さあ、もう一個挑戦しよう」
「えぇっ」

 二度目はなんとなくコツを掴んでいたので前回よりは早く終わった。やはり三国のそれとは比にならないくらい不恰好なものだった。
「ほら、おまえがやってる間に、うさぎだぞ」
うさぎに見立てて切られたりんごに神童は目を輝かせた。
「すごい!うさぎ!?どう作るんですか?教えてください!!」
「え?神童、うさぎ見たことないのか?簡単だぞ。まず、焼きりんごが出来たから休憩にしよう」

 三国が淹れた紅茶と、りんごと焼きりんごの休憩。
焼きりんごを食べた神童は美味しい美味しいと絶賛した。
「自分で作ったものほど美味しいものはないからな」
「三国さんも食べてください!すごく甘くて美味しいです」
神童はテーブルから身を乗り出して、ひとかけらの焼きりんごを三国に差し出す。
それを食べて、三国の感想を待つ神童の顔は初めて見る表情だった。少なくとも三国には。
ごくりとそれを飲み込んで、美味しいと感想を述べると神童は、至上の幸せとでも言いたげな表情で喜んだ。
どうやら神童は自分が作ったまのを他人に食べて貰うのが一番好きなようで残りも全部三国に差し出し、三国が食べた度に喜んだ。
 そのあとうさぎの作り方も三国に教わり、エントランスまで見送られて神童は嬉しそうに帰宅した。

 3、4時間目の間の休み時間、調理室前を通った三国は中に神童が居るのを見つけた。
「いい匂いがするな、りんご?」
南沢が調理室の中を見ながら言った。
「りんごパイと切ったりんごって、神童が言ってた」
三国が答えていると、霧野が三年生たちに気付きやってきた。いや、正確に言えば三国に気付いて。
「聞いてくださいよ!神童が…」
「神童がどうしたんだ?」
三国は嫌な予感がして霧野に食い付いた。
「それがあいつ、りんごを、」
「三国さん!!」
三国に気付いた神童が皿を手に走ってきた。四つのりんごのうち二つはうさぎりんごだった。
「これ、三国さんです」
神童は一つのうさぎを三国に差し出した。その顔は昨日のあの表情。
「それで、こっちは俺です」
残ったうさぎを持って神童ははにかんだ。その様子に南沢は露骨に顔をしかめ、霧野は困ったようにため息をついた。
「三国さん、こいつずっとうさぎで三国さんごっこしてて…昨日何かしたんですか」
ずっと神童のごっこ相手にされてたのか、霧野は泣きそうな顔で三国を見た。
「俺は何もしてない!」
「おまえ先輩だろ、見損なったね」
冷ややかな南沢。
「違う!!絶対!!」
「ふん、こいつらと居ると授業に遅れる」
ふらりと先を行ってしまった。
「あ、ちょっと南沢……」
「三国さん」
神童がじっと三国を見つめる。
「昨日はありがとうございました」
「あ、嗚呼……」
「それ、食べてください。それじゃあ」
神童は満足そうに笑うと中へ戻って行った。
「三国さん、本当に昨日何したんですか?」
霧野はぐいっと三国に迫る。
「だから、何も…いや、したよ。したさ」
ただのりんごの皮向きだが、諦めた三国は認めてやるしかできなかった。


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