イナズマイレブン

□成就できない恋の呪い
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 蓋をしたはずの苦々しいおもいで。環境がガラリと変わったせいか、最近ふとした時によく記憶がよみがえってきた。
 それは俺が幼稚園に居た頃の話だった。初恋だった若い女性の先生が、俺の卒園間近に結婚してしまった。
 その報告を聞いた瞬間、先生とのやりとりがフラッシュバックした。ずっと、俺が大人になったら先生と結婚するんだと言って、結婚する日が楽しみだと笑ってくれた先生。
 今思えば子供の夢をつぶさないようにするための嘘だったのも分かる。だが、あの頃は俺が大人になったら、本当に先生と結婚できるものだと信じていて、疑いを知らなかった。
 だから、当時の俺にしたら先生が知らない人と結婚するなんてことは、鋭くて冷たい現実で、どうしても受け入れられなかった。小さかったとはいえ、俺の心は痛んだ。
 その日俺達に結婚を告げた先生の笑顔は、一番俺が大好きな顔だった。だが、その日から、その笑顔は俺の心臓を抉り続けた。死んでしまうかと思うくらい痛くて、毎晩泣いた。泣きながら、二度と人を好きにならないと決意したのを鮮明に覚えている。
 ……そんな誰にも言えないような、でも俺の中ではとても大きなこの出来事は、トラウマに近かった。
 十三年間の人生を振り返ってみると、俺はその失恋以来、恋愛というものには人並以下に疎かった。
 小学校に入ってすぐ、バスケに魅了されて技を磨くことに専念してきた。恋愛や余暇に脇目もふらずバスケと向き合い続け、周りはそんな俺を評価してくれた。
 そして今、バスケ留学と引き換えにイナズマジャパンというサッカーチームに入って、バスケから離れた生活を送ることになった。一から新たなスポーツをするのは大変だが、ようやく周りのチームメイトたちをじっくり観察できる程には落ち着いてきた。
 俺はサッカーにおいては全くの初心者だと自覚している分、周りをよく見ていた。他の初心者たちは何をしているのか、経験者たちは何を考えているのか……広い視野で、冷静に分析する。長年試合の中で積み重ねてきたバスケ経歴が、こんなことに役立つとは思っていなかったがな。


 今日も俺は剣城と一対一でシュート練習に明け暮れていた。初心者だからと手加減が一切ない剣城は俺にとってありがたい。俺はまだこのシュートをほとんど取ることが出来ないが、必ず漏れなく止めてやると心に誓っていた。
 ゴールネットに鋭く切り込んだボールを剣城にパスし、ふと遠くに居る神童を目にした。女みたいな髪型をして、初めて合ったときエキシビションで大敗して泣いていた人。
 女々しい印象を抱いていた分、翌日の練習で神童に文句をつけられたとき、第一印象とかけ離れた性格への驚きと、その驚きをしのぐほど、神童の言うとおりで心底悔しいと感じた。
 そのため俺は一日のほとんどを、剣城に頼み込んでずっと俺の練習に付き合ってもらっていた。
 そんな俺の姿勢に剣城やキャプテンをはじめ、みんなが少しずつ評価してくれていた。目線の変化が、なんだかバスケを始めたばかりを思い出させる。だが……
「あとはおまえだけなんだ……」
「どうした、井吹?」
 口に出てしまった言葉は剣城の耳に入っていた。
「なんでも……いや、剣城。俺はどこまで結果を残せば神童を認めさせられるんだ?」
 思っていたことを訊ねてみると、剣城は軽く首を捻った。自分も分らないと言いたげな雰囲気を察して、俺は練習を再開しようと彼のシュートを催促した。


 日が落ちて、皆が練習を切り上げはじめた。剣城に礼を言った後、俺は一人フィールドの周りを走っていた。
 キーパーってもんは本当に走らないポジションだと日々感じる。このままだと世界大会が終わったあとにバスケに支障を来しそうで、こうして気が向いたときには走ることにしていた。
 このサッカーとはなんの関わりのない時間が俺は好きだった。体が悲鳴を上げ始めるまで無心になってフィールドの周りを走る。
 履き慣れないスパイクが、刈りそろえられた人工芝を踏みしめる感覚。体育館の、滑り止めの音がしないのが、どこか心さみしい。
 だが、それもここに居るだけの僅かな間だけだ。それまでに俺はなんとしてでも俺の実力でアイツを認めさせてやる。
 気が奮い立ってペースを上げすぎたせいか、この日はすぐにバテてしまった。
 シャワーを浴びてロッカールームへ行くと、剣城の声が聞こえた。
 結構長く居るんだな、と思いながら入ろうとすると、神童の声も一緒に聞こえた。
 反射的に入るのを躊躇う。扉のすぐ近くに背をつけて、入るタイミングを探っていると、二人の話声はよりはっきりと聞こえた。
「神童さん、井吹のことなんですが……」
「井吹がどうしたんだ?」
 神童は相変わらずと言った無愛想なトーンで話していた。剣城は少し言いづらそうに俺の話を続ける。
「今日、井吹がどうしたら神童さんに認めてもらえるのかと言っていて……俺も気になるんです。
 神童さんは、井吹のことをどう思っているんですか?」
「井吹か? あいつは伸びるよ。俺たちが思っている以上に、必ずな」
 驚く剣城。俺も二人の陰で、声を出してしまいそうになるくらい驚いた。
 今神童はなんて言った? これはまるで俺のことを……。
「だが、あいつは俺という目標を無くしたら必ずそこで成長は止まる。前にも言ったが俺は、どんな手段を使ってでもこのチームを優勝に導く。そのためなら、俺は嘘を演じてでも……井吹のことを認めない」
「神童さん……じゃあ本当はもう井吹のことを──」
「剣城、明日も早いぞ。もう部屋に戻って休め」
 神童は強制的にこの話題を終わらせた。あいつが荷物をまとめる物音がしたが、俺は想定外の神童の回答を前に、この場から動けなかった。
 ロッカールームの扉が開き、神童と目が合った。いつも通りの冷たい暗褐色の瞳。目が合ったにも関わらず、神童は何も言わずに行ってしまった。
 遅れて出てきた剣城は立ちすくむ俺を見て、一瞬目を見開いたがすぐに、練習熱心だなと、一言だけ言うと行ってしまった。
 俺は無人になった広いロッカールームで一人着替えをしながら、神童の言葉を反芻していた。
 既に神童は俺のことを認めていた。いや、認めているんじゃない、俺の底に眠る実力を知っている。きっと彼は俺に期待しているに違いない。
 俺のためにとる厳しいあいつの態度……。
「案外、優しい奴なのかもしれないな……」
 声にしてみると、俺の心はひどくざわめいた。そして心臓がぎゅっと痛む。
 数年ぶりのなつかしい感情が、初恋の先生の笑顔とともに溢れてきて、思わずむせた。それは痛くて不安定で、でも心地良い感覚で、体中をしびれさせた。
 まだ俺は何かを神童に求めているのではないか。そんな気がした。
「馬鹿だな、何考えてんだか……」
 嘲笑したが胸の痛みは一向に消えてくれなかった。信じたくない現実から逃避しているのは自覚している。
──俺は神童のことが好きになってしまった。
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