イナズマイレブン

□君に恋する数式
1ページ/2ページ

(よりによって一番の筋肉バカに絡まれてしまうとは……)
「神童君のことはいいんですか?」
「いい」
 それでも神童の名を出すとあからさまに不機嫌な顔を見せる井吹。真名部は彼の口元の歪みを頭の中でこっそり計算していた。やや上向きに上がる口角はすぐに10度下へ曲がって、真名部のことを睨みつける。
(こわい目……)
 真名部は平静を装いメガネを上げる。咳払いをして、今度は僕ですか? と迷惑そうに訊ねる。
「悪いか?」
「……んん、なんだか調子狂いますね」
 一番一緒に居た皆帆は井吹が真名部にやたら絡むようになってから、ぱったりと真名部とつるむのを辞めた。遠目に皆帆を見ると彼はにっこりと笑って手を振る。他人の面倒事には関わりたくないんだ。そう言いたげな表情に真名部は眉間にシワを寄せて精一杯の怒りを表すしか出来なかった。
 そんな些細なやりとりにさえも井吹はどうかしたのかと真名部の顔を上から見下ろしてくる。その時だけ井吹は年相応の好奇心に満ちた、真名部よりも幼い顔を見せる。この時だけ、真名部は自分が年上だということを認識できた。
 それでもあまり他人からの詮索を好まない真名部は、根掘り葉掘り真名部のことを知ろうとする井吹の好奇心が気にくわなかった。皆帆とはまた違った目線だったのも、真名部がたじろいでしまう理由だった。
 今日は貴重な自由時間を、井吹は真名部の部屋で過ごしていた。
「くれぐれも僕の勉強の邪魔をしないで下さいね」
 彼は何度も釘を刺しながら机に向かって大好きな数式を解いていた。井吹はというと、真名部の言いつけを素直に守って、無許可で人のベッドに寝転がりバスケ雑誌を読んでいた。
(こういうときだけ、素直に言うこと聞くんですから……)
 なんておかしな光景なのだろう。机に向かって黙々と難解な問題を解いていく真名部とまるで自分の部屋のようにくつろいで雑誌を読む井吹。これではどちらの部屋か分からないな、と真名部は解を求める合間に井吹を盗み見ながら思った。
 真名部の苦手な、井吹の独特の瞳がいつもより幸せな色に輝いているように見えた。趣味を前にしているからなのだろうか、真名部はそんな井吹に少し緊張を解いた。無造作に伸びていただけだと思っていた綺麗な白髪は、こうしてちゃんと見てみると丁寧にセットされていた。グローブをしていない手は予想よりも大きくて、間接がボキボキで、不格好で、深爪だった。
 あれもこれも、全部井吹が真名部によく付きまとうようになってから気付いたことだ。つまらない情報ばかりが真名部の脳内に溜まっていた。
「……井吹くん」
 真名部はノートに図形を描きながら井吹に声をかけた。井吹は何も言わず雑誌から目を上げる。
「僕、井吹くんみたいな、いわゆるスポーツマンとは一度もきちんとお話ししたことはなかったんです」
「それで?」
「あなたの考えることは僕には分かりません。それだけです、僕が分かったことは」
「フッ、俺は数式じゃねぇからな」
 井吹はベッドから立ち上がり大きく伸びをした。真名部はシャープペンを机に投げ出し、椅子を回し井吹に向き直る。
「……そうですね、でも僕は答えを知りたいんです。君が僕にどんな答えを求めているのか……」
「それ、数学家の宿命か?」
「当たり前じゃないですか……この世に解けない答えはないんです」
 言い切る真名部に井吹は不敵な笑みを見せる。目の色が変わった。ぞくっと真名部は背筋が凍ったが、表情を崩さないようにすることだけに、精いっぱいの気を遣った。
「真名部、おまえさ……俺のこと好きになれよ」
「…………はい?」
 何を言うのかと思いきや。真名部はマヌケな声を出し、時間差でみるみる顔を赤くした。クセで真っ先に体温上昇に約3秒、と心の中でつぶやく。
 井吹はそんな真名部の心の中などまったく知る由もなく、好戦的な態度をむき出しに腕組みして真名部を見ていた。こんな告白の仕方があるだろうか。だが、恋愛に疎い真名部にはそんな恋愛の下積みデータなどなかった。
「なに、言ってんです、か……僕たちは……っ!」
 心臓が、今までにない速度で鼓動を速めていく。こんな気持ちも対処法も全然真名部にはわからない。処理しきれないデータが頭の中をものすごい勢いで埋め尽くしていく。
 気がつけば、井吹が目の前まで迫っていた。
「おい」
 故障したロボットと化した真名部の手を、井吹が思い切り引き寄せると、ぎこちなく固まった体が井吹の体にすっぽりと収まった。
「おまえ、臨機応変って苦手なのか?」
 数学バカ。そう耳元で囁かれた言葉に真名部の胸はきゅんと高鳴る。
(あ、これって……恋)
 単純明快な答えに気付いた時には、既に彼のファースト・キスは井吹によって奪われていた。


 ベッドの上に投げ出された真名部はようやく抗議の声をあげた。紅潮した顔と、恋に目覚めた心はもう元には戻らなかったのだが。
「僕の……僕のファースト・キスが!!」
「気にするのそこか?」
 よいしょと真名部の上に乗る井吹の重さにうっと真名部は呻く。
「あっ…いや、僕たちお互い生物学上で男なんですよ! も、もちろんファースト・キスも……」
「なんでもかんでも数式に当てはめんなよ。俺はおまえのこと好きだから」
「っ……う……」
「それに、俺の初めてもさ……おまえだから……」
 初めて井吹が躊躇いがちに真名部へ恥ずかしそうな顔を見せた。真名部は耐え切れずに井吹の腹を一発殴った。
「……」
 自覚してはいたが、勉強ばかりで力のない真名部のパンチは、日々鍛えた井吹の体にウンともスンとも言わせることはできなかった。
「そう、いうの……卑怯、ですから……」
 弱々しく告げる言葉に井吹は勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「立派な戦術って言えよ」
「!? ん、ぁ……」
 真名部は顎を上げられ二度目のキスをした。
 まだ緊張が解けない。強張った体は自分で思っても全くコントロールが出来ず、神経が断たれてしまったように動かない。そんな彼の体を解かすように、井吹の舌が真名部の中に入ってきた。それは先程身勝手したとは思えないほどゆっくりとしていて、真名部を気遣うようだった。
 ようやく舌が触れあうと真名部は驚いた声をあげた。反射的に手が動いたが、井吹に押さえつけられているのに、ここでようやく気がつく。
 初めて、と言っただけある。井吹は本能に従いつつも、真名部を思ってゆっくりゆっくりとその口内を探る。息が詰まって死んでしまいそうなほど、長いキスだった。
 歯列をなぞり終えて、井吹はようやく口を離した。口を完全に覆われていた真名部は新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「わ、悪い……」
「はあ、はあ……ほん、とに……はあっ、はじめて……なんです、ね」
「これから上手くなるから……おまえで」
「それはごめんですね……と言いたいところですが……」
 ふーっと息を吐いて真名部は額に腕を当てた。
「……君の言う立派な戦術、とやらにまんまと嵌まってしまったようです」
「真名部……!」
 井吹は顔を輝かせて真名部を抱きしめた。顔を真名部に擦り寄せてくるのが犬っぽくもあり、年下っぽくもあり真名部は少し微笑んだ。が……
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ