イナズマイレブン

□白煙越しに見ていた眺め
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『みなさん、最近疲れやすいと感じることはありませんか? 階段を登るのがつらい、少し歩いただけで休憩してしまう……実はそれ、膝の老化が原因なんです!』

 毎週の楽しみにしていた深夜番組が終わると、毎回決まって同じテレフォンショッピングの番組が流れる。暗闇の中で井吹が神童に腕を回す形でぼーっと同じ番組を、今週も見ていた。
 明るい青いライトが目にちかちかと眩しいのか、神童はちょっと一服したい、と井吹の腕からするりと出た。テーブルの上にきちんと置かれたいつもの煙草と、随分前にプレゼントで渡したジッポを手に、ベランダをに出る。
 室内の眠気をさそう暖かなこもった空気に、目が覚めるような冷たい夜風が入り込む。

「開けてていいぜ、換気するから」

「ん」

 彼は煙草を口に咥えたまま、閉めかけたガラス戸から背を向け、欄干にもたれた。少し猫背になって、白い煙が吐き出される。

『私もサプリを飲みはじめてから数カ月で石階段も全然苦にならなくなったんですよ!』

 神童の代わりに枕を抱きながら、井吹は携帯をいじくった。深夜二時にもなるというのに、仕事関連のメールが数件来ており嫌気がさす。一通り目だけ通し、明日全部返すことにする。
 目覚ましをかけながら井吹はつぶやく。

「つまんねーな」

「うん、もう寝ようか。もう火つけたから待ってて」

 煙を吐いて、空を見る。彼が安いからという理由で借りたアパートは、都心の喧騒を忘れる閑静な郊外に位置しており、神童にとっては心身共に安らぐ空間だった。だから、よくこうして数泊して井吹との休日を過ごす。
 ここからの眺めは最高だった。深夜を過ぎた、静まり返った空間。紺色の水が延びた空に、白や黄や赤の星々が散りばめられている。綺麗な一枚の絵を邪魔する煩い人工灯はそこにはなく、丸い月とともに、今宵も完璧な姿で神童を迎えていた。そんな夜空を見ていると、冬の近づきを知らせる日々増す寒さも、天体観測を楽しむ神童には、むしろ逆上せそうなほど温かく甘い空間から一時抜け出せる新鮮な時だった。
 ふと、体に長い腕が回される。とん、と重たさを感じて、アルミの欄干がぎしっと音をたてる。髪に頬が触れる。

「布団で待てない」

「ああ、ごめん」

「寒いだろ」

「うん。……これからもっと寒くなるな」

 神童は振り向くことはせず、身にかかる重みに話かける。体が触れ合う場所から、彼の温かさが脈を打ちながら伝わってきて、冷えはじめた体をじんわりと温めはじめる。心地よさにすがるように、神童は頭を上にあげ胸板に押しつける。夜空と一緒に、井吹の顔を見上げる。目が合って、井吹は神童の見る方と同じところに目を向けた。

「……オリオン座見つけた」

「ああ、ほんとだ……星座は詳しいのか?」

 砂時計に繋いだ星を見ながら訊いてみる。

「オリオン座しか知らない」

 予想通りの結果に神童は思わず、あははと笑ってしまう。なんだよ、と機嫌を損ねる井吹に神童は大丈夫と続ける。

「俺もオリオン座しか知らないから」

 灰皿に灰を落として、煙をふかす。顔を逸らして煙を出して、ごめん、と非喫煙者に一言謝る。神童が気遣いでベランダに出て吸っていたところに井吹が出てきたのだから、別にわざわざ謝ることはないだろうが、近い場所で吸っていると、後ろめたい。それに、燦爛と煌めく紫瞳が見る、広い夜の空に靄がかってしまうと申し訳ない。これ以上吸う気もなくなって、ぎゅっと煙草を消す。

「……ちょっと勉強しようかな」

「星座?」

「ここからは綺麗な星がよく見えるし、それにもうすぐ星がきれいな冬が来る」

 回された腕に触れる。神童のかじかんだ指が彼の手の甲に触れると、緩く腕が解かれて、手が繋がる。
 再び目が合って、今度は夜空に移ることはなく、井吹は、ああ分かったという風な顔をしていた。

「もしかして寝る前にいつも一服してるのって夜空を見るためか?」

「ああ、そうだよ」

 せっかく独り占めできていたのになあ、と少し寂しい気にもなる。だがオリオン座しか知らないような人が、綺麗な星空を前に批判じみたことも言えず。むしろ、冬が迫るにつれ外に出るのが億劫になるのではないかと感じていたので丁度良い。

「これからは俺も誘えよ」

 構ってもらうのが好きな井吹が絶対言うであろう言葉が聞けて、神童は昔から変わらない苦笑のような下手くそなはにかみを見せる。

「これからそうするよ」

 神童の手が井吹から離れる。冷たい指先が頬に触れて、星空の中の井吹を引き寄せる。冷たくなってしまった口を合わせ、井吹は中の苦みを求めてきた。
 もう寝る前の煙草はやめないとな。夜空を眺めながら最後の一服、井吹には分からない楽しみが一つ取られてしまった。少しずつひとりの時間は二人の時間になっていく。部屋の中と同じ、甘い空気がこのベランダにも取り巻いていくのが分かる。
 それを悲しむか、それとも喜ぶか、決定づけるには今はまだ時期尚早だろう。今はただ、止まってしまったかのような静寂の中で、二人の時間をこの口と口から味わうことだけが許されていた。

『みなさん、最近疲れやすいと感じることはありませんか? 階段を登るのがつらい、少し歩いただけで休憩してしまう……実はそれ、膝の老化が原因なんです!』

 ループしたテレビの声が後ろから聞こえる。知らぬ間に結構な時間になっていた。
 風邪をひく前に寝てしまおうか。二人は閉めたガラス戸の中で眠りについた。

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