雑歌

□何が見えますか
1ページ/2ページ







「……梵天丸様?」
 主である少年を探していた小十郎は、丘の上にある一本の木の上にその姿を見つけて驚きの呟きを漏らした。
 高さは結構ある。お一人であそこまで登られたのかと驚きの反面、呆れと心配を禁じえない。
「怪我をされたらどうなさるおつもりか……」
 本人には聞こえなくとも思わず小言が零れる。ため息は堪えて主のもとへ足早に急げば、遠くからは見えなかった主の表情が見えてきた。
「……?」
 最近快活になってきた主は、昔のような憂いた顔でどこか遠くを見ていた。何があるのかと同じ方向を小十郎も見てみるが、山以外は何も見えない。
 木のもとに辿り着く。主は気付いていないのか、こちらを見ることもなく何かをじっと見つめていた。
「――何が見えますか」
 思わず訊ねていた。
「っ!?」
 その問いでようやく人がいることに気付いたらしい主は、目を見開いてこちらを見る。小十郎の姿を確認すると、少しだけホッとした顔をして苦く笑った。
「何だ、小十郎か……驚かせるな」
「申し訳ございません」
 主の言葉に小十郎は軽く頭を下げる。それを苦い笑顔のまま見届けてから、主はまたどこか遠くに視線を向けた。
「何が見えますか」
 再び同じ問いをかける。今度はぴくりとも動かぬまま、主は一言答えた。
「……知らない国が見える」
「……?」
 小十郎は思わず眉間に皺を寄せてもう一度同じところを見たが、やはり小十郎には山以外何も見えない。たとえ木に登ったとしても、それ以外が見えるとは思えなかった。
「……俺は」
 そんな小十郎の様子を察してか、主は静かに、けれどもはっきりと言葉を口にする。
「ここ以外を知らない。ここを出たら何があるのか、誰がいるのかを知らない」
「それは」
「分かってる。俺はまだ子供だ……」
 小十郎の言葉を遮った主のそれは、微かながら悔しさが滲んでいた。
「俺が何も知らなくても、何も出来なくても、世は動いてく。たとえ何があっても、今の俺は無力でしかない」
 主はふと目を閉じる。
「……そうだ、俺は無力だ……」
「梵天丸様……」
 繰り返したその言葉は、まるで針のように小十郎の胸を刺した。けれど主の痛みは、きっとこんなものではなくて。
「……無力では、ございません」
 知らずにそれを否定していた。
「あなたは、無力ではございません」
「……!?」
 小十郎の言葉を聞いた主は、閉じていた目を開いて驚きの表情を小十郎に向けた。小十郎はそれを真っすぐに見据える。
「確かに、あなたはまだ子供だ。何かことを為すには、幼すぎる。けれどあなたはいつでも考えていらっしゃる。民のこと、戦のこと、そしてこの国のこと」
 普段から主がよく口にしていること。それは決して楽観的なものではなく、自らが関わっていないのにいつも悲しんでいた。
「いつも考え、そのための努力も惜しまない。そんなあなたが無力であるはずがない。ただ、まだ時が来ていないだけです」
 小十郎は、まだ幼いこの主を心の底から信じている。いつかきっと、この方は時代に呼ばれるのだと。
「もう少しだけ、我慢なさいませ。時が来たときのために」
「……時、か」
 驚きの表情のまま聞いていた主は、ふっと表情を和らげた。
「そうだな……時が来るまでは」
 自分に言い聞かせるように呟いて、主は再び遠くを見る。
「だが、時が来たら――俺はもう悲しまないし、考えない。俺に必要なのは動くことだ。ここを出て、どこへでも行こう。そして様々なことを知ろう。天下をこの手にするために。……戦を止めなければならないから」
 既にさっきの憂いはどこにも見られなかった。静かに、きっぱり言い切って、主は小十郎を再び見下ろす。
「お前も来い、小十郎。俺と共に見、聞き、知り、為せ。そして俺を助けてほしい。俺には、お前が必要だ」
 今や強い力を宿した左目は、小十郎の心を簡単に捕らえた。それに微笑んで、小十郎もまた、誓いをたてる。
「……もちろん、どこまでもあなたと共に」
 それは、生涯違うことのない強い誓い―――


Next→
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ