雑歌

□酒と月の光と
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 何と見事な今宵の月よ。




 まるで絵のようだ、と小十郎は思わずほぅ、とため息をついた。
 縁側に座り月を見上げ、時折盃を傾ける。ただそれだけなのだが、その光景がやけに特別に見えるのは、この人のもつ雰囲気のせいか。
 しばらくその光景に見入っていた小十郎だが、ふとあるものが目に入って思わず目を見開いた。
 刀の鍔。それはこの人がなくした右目を常に覆っているものだ。寝所以外では絶対に外さないはずのそれが、とっくりの間に何気なく置かれていた。
「……政宗様……何故……」
 思わず呟く。するとそれが聞こえたらしく、傾けようとしていた盃をおろして彼―――政宗がこちらを向いた。
「よ、小十郎。どーした?」
「……いえ」
 微笑みに緩く首を振り、小十郎は政宗に歩み寄る。
「このような刻限に、こんなところで何をなさっているのかと」
「決まってんだろ、月見だよ。……お前も座れ、小十郎」
 人懐こい笑みを浮かべ、政宗は小十郎に手招きをする。軽くため息をついて、小十郎はそれに従った。
「ほら」
 隣に座ると盃を差し出された。それを受け取ると同時に、小十郎は眉間に皺を寄せる。
「……誰かいたのですか?」
「いや、ずっと俺1人だ」
「では、誰か来る予定でも?」
「それもない」
 では何故盃が2つも―――と小十郎が問う前に、政宗は軽く笑った。
「でも、お前が来るような気がしてた。……ほら、飲めよ」
 受け取った体勢のまま固まる小十郎の盃に、政宗は微笑んだまま酒を注ぐ。そして再び月を仰ぎ見るが、小十郎はやはり固まったままその横顔をじっと見つめた。
「……月が」
 そんな小十郎の視線に気付いているのかいないのか、政宗は穏やかに呟く。
「こんなに綺麗なんだ……お前も誘われるだろうと思って」
「……確かに」
 固まっていたのをため息で解いて、小十郎も同じように月を見上げた。
 眩しくて目が覚めた、というのは少々大袈裟かもしれないが、差し込む光の明るさに目が覚めたのは事実だ。
 きちんと閉めていなかった障子の隙間から差し込んでくる、美しい光をたどって空を見上げれば、そこには光以上に美しい満月。
 一目だけでは惜しくて、誘われるように外に出た。政宗の言う通りだ。
「……『お前も』ということは……あなたも、そうなのですね」
 月から再び政宗に視線を戻すと、政宗は月を見上げたままクッと小さく笑った。
「逆らえねえだろ、この光には……」
 そして月に盃を差出し、目を細める。
「こんなに綺麗な月、めったに見れるわけじゃねえしな。逆らうだけ、野暮ってもんだ」
 月を映した酒をくいと流し込み、小十郎を見て政宗は静かに微笑んだ。
「……そうですね」
 そんな貴方の方が綺麗だと―――自分でも呆れるような台詞を飲み込んで、小十郎も酒をあおる。そのまま月を見上げれば、穏やかな光がまるで雪のように静かに降り注いでいるように見えた。
 美しいと思う。
 それをうまく表現するための言葉は持たないが、そんなものなどなくても、この満月の美しさは変わらない。
 綺麗だ、と口にすることも、できない程に。
〈……ああ、何かに似ているな〉
「……月かげに わが身をかふるものならば つれなき人もあはれとや見ん……か」
 ふと、政宗がそんなことを呟いた。政宗に視線を向ければ、彼は少しだけ微笑んで月ではなく小十郎を見ていた。
「え……?」
「分からなくもねえな……」
 首を傾げる小十郎に目を細め、政宗は盃を傍らに置く。そしてその手を小十郎の頬に触れさせた。
「お前にそんな顔で見られるなら……俺も、月になりてぇよ」
「ま……」
 小十郎が名を呼ぶよりも早く、政宗の唇が触れる。重ねるだけですぐに離れ、政宗は悪戯な笑みを浮かべた。
「なってもいいかもな……本当に」
「……あなたは……」
 何よりも呆れを感じて、小十郎は深いため息をつく。言いたいことはたくさんあるが、最初に小言が出てくるのはもう癖といってもいい。
「誰かに見られたらどうするんですか」
「何だ、まだそんなこと気にしてんのか」
 その一言で気が削がれたらしい政宗は、軽いため息と共につまらなそうな顔をしてふいとそむけた。
「お前がそんな顔してるのが悪い。……そんな愛しそうな顔で、月を見てるから」
 再び盃を手に取り、自ら酒を注ぎながら政宗は不機嫌そうに呟く。
「……同じ顔を、向けてほしかっただけだ」
「……政宗様……」
 注いだ割に飲もうとしないで、ただ盃を軽く揺らすその仕草は、怒っているというよりはどこか寂しげだ。それだけで、小十郎の胸はきりりと締め付けられる。
「……月に」
 無意識のうちに、政宗を後ろから抱き締めた。
「月などになられては、困ります」
「……何でだ」
 政宗は少しだけ肩を震わせたが、それ以上は何もしなかった。先程と同じ、不機嫌そうな声で一言問う。


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