雑歌

□秘密
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 今宵、元親が見上げた空に月はない。
 朔の日の空は、月のある時とはまた趣が違う。普段は見えない星まで瞬いて見えて、それ以外のものは何も見えない。
 暗闇。
「……何隠れてんだよ」
 けれどそこは『無』ではない。小さく動く気配に声をかければ、まるでその暗闇の中から生まれてきたかのように、人影が現われた。
「あら、バレてた?」
 暗闇とは反するような明るい髪と声、そしてどこか悪戯な笑みに、元親は肩を竦めてみせる。
「隠しちゃいなかったくせに」
 本気で気配を隠したなら、元親だって気付かない。それ程、凄腕の忍なのだ、今暗闇から現われた、彼は。
「佐助」
「なぁに」
 名を呼ぶと、佐助は元親の隣にへたん、と座る。間髪入れずに抱き締めれば、久々の感覚に笑みが零れた。
「佐助……」
 もう一度名を呼ぶと、今度は佐助は軽く元親に口付けた。唇を重ねるだけですぐ離れ、また重ねて、を何度か繰り返す。
〈今日は、機嫌良さそうだ……〉
 それを受けながら、元親は頭の隅でそんなことを考える。
 佐助は、なかなか言葉に出して言ってくれない。自分のこと、考えていること、今の状況、何一つとして。
 分からなくて、でも分からないままは嫌で、何度も佐助に問うた。答えてくれないなら、態度と口調から何とか読み取ろうとした。そんなことを繰り返していたら、いつの間にか何となく佐助の考えていることを察せるようになっていた。
 知りたいことは、本当はもっとたくさんあるのに。
「ん……っ」
 離れていこうとする唇を捕らえ、深く口付ける。佐助の抵抗はないので、元親は更に深く、佐助の舌を絡めとった。
 その体を強く抱き締め、首筋を、背を、腰をゆっくりと撫でる。そして再び首筋を撫で、鎖骨から肩を撫でた時だった。
「つっ……」
 急に佐助の顔が歪んだ。
「佐助?」
 驚いて元親は佐助を離した。普段見せることない佐助の歪んだ顔に、元親は理由も分からず狼狽する。こんなに痛がるほど、力を込めたつもりはないのに。
「ごめ……何でも、ないんだよ」
 その元親の様子に、佐助は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。だが、それが言葉どおりではないことくらい元親にも分かる。
「……お前、まさか」
 何となく嫌な予感がして、元親は佐助の上半身の着衣を手早く脱がせた。あっという間に佐助の肌が露になる。
「うっわ、色気のない脱がせ方」
「茶化すなよ」
 佐助の声は明るいが、元親は笑えなかった。佐助の肩に、大きな刀傷が付いていたからだ。
「これ……」
 どうしたんだ、まで言葉が出てこない。
 もちろん、佐助は戦忍だ。戦場に出ている以上、多少の怪我はする。けれどその傷は、下手をしたら致命傷になりかねない、それほど大きな傷だ。佐助ほどの忍が、こんな傷を負うなんて。
「ん、ちょっとしくじっただけ。気にしないで?」
 けれど、佐助は笑う。軽くそんなことを言って、笑って。
 「これ以上は訊くな」と、暗に言う。
「佐助……」
「俺様は平気だよ。もう治りかけてるんだから」
 本当は、訊きたい。いつ、誰に、どんな状況でやられたのか。細かく問いたい。
 けれど訊いたところで、佐助はきっと、答えないだろう。この笑顔で、どんな質問も切り捨てる。
「……分かった」
 だから、元親はそう答えることしか出来ない。
「ん、ありがと」
 その笑顔の前では、問いは心の中でしか、出来ない。
〈―――幸村は、知ってんのか〉
 佐助が、常に傍にいる相手。知らないはずはないだろう。この傷のことだけではない。佐助のことを、幸村は……元親が知らないことも、知っているのだろう。
「……元親さん?」
 ただ佐助を見つめるだけの元親に、佐助は不思議そうに声をかけてくる。
 二人きりの時だけ、名を呼んでくれる。それは嬉しいが、未だに何故さん付けをするのか元親はいまいち納得できない。
 これもきっと、理由を教えてくれないだろうけれど。
「俺、お前のこと何にも知らねぇ」
 気付けば、そんなことを口にしていた。
「こんなに愛してんのに……何にも知らねぇ」
 いる場所は遠くとも、心は一番佐助の近くにいると思っているのに。
 何にも知らない―――そう思い知らされると、自分と佐助の関係さえ、幻なのではないかと、そんな不安にさえ駆られてしまう。
「何言ってんの」
 俯きかけた元親の頬に佐助は手を添え、顔を上げさせる。不安げな元親とは対照的に、佐助は緩く微笑んでいた。
「誰よりも元親さんが、俺様のこと知ってる。誰も知らない俺様を知ってるよ」
「え……?」
「例えば」
 驚く元親の手を取って、佐助は自分の傷に触れさせる。自分で触れさせたからか、佐助は特に痛がらなかった。


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