雑歌

□その音を傍に
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「……眠れねぇ……」
 いつもより遅めに床に就いたはずなのに、一向に眠りが訪れない。小十郎はため息を一つついて体を起こした。
 眠れない理由が分からない。毎日政務やら軍議やら戦やら、それこそ目の回るような忙しさで動いているから、疲れていないはずはないのに。むしろ、早く眠りたいほどくたくたに疲れているはずなのに、何故。
「……しょうがねぇ」
 布団から出、しまっておいた布の袋を取り出す。中には、笛が入っていた。
 笛を手に取り、口に当てる。気の向くままに音を出せば、寝付けないことのイライラがすっと収まっていくような気がした。
 こうして無心に笛を吹くと、不思議なほど心が落ち着く。昔から馴れ親しんだ笛だが、最近は忙しさと、あまり他人に聞かせたくないという思いからあまり手にすることはなかった。だがやはり、笛を吹くことが何よりの気分転換になる。
 気の済むまで音を出し、ふっと笛を下ろしたところで背後から手の叩く音がした。
「っ!?」
「相変わらず見事だな」
 驚いて振り向けば、閉めていたはずの障子が開いていて、そこに人が立っている。その姿を認めて、小十郎は目を見開いた。
「政宗様……!」
 自分の主人である政宗が、寝巻のままでこちらを見ている。小十郎と目が合うと、政宗は小十郎の傍までやって来て、傍らに座った。
「どうなさったんですか、政宗様……こんな刻限に」
 尋ねながら笛をしまおうとして、その手を政宗に止められた。
「ああ……眠れなくてな」
 政宗の顔を見れば、彼は緩く微笑んでいる。しかしその表情に小十郎はどこか違和感を感じた。
「気分転換に歩いてたら、笛の音が聞こえたからついつられてな。……お前こそ、どうしたんだよ」
 何てことないように話す政宗から目を逸らさずに、小十郎は「同じです」と答えた。
「眠れなかったので、気分転換を」
「そうか……珍しいな、お前が」
 政宗が肩を竦める。そこで小十郎は初めて、彼が汗ばんでいることに気が付いた。
「政宗様……? どうなさいましたか?」
「Ah?」
「汗を……」
 小十郎が言った途端、政宗の顔が一瞬だけ強張る。しかし次の瞬間にはそれは消えて、また緩い微笑みを浮かべた。
「今日はちぃと暑いからな……それでだろう」
「―――そうですか」
 今夜は暑いどころか、肌寒いくらいだ。けれど小十郎はあえてそれを言わずにただ頷いてみせる。
 その汗がただの汗ではないこと、政宗の顔色、そして自分が眠れない理由。そのすべてに気付いたから。
「……ところで小十郎」
 小十郎がそれ以上何も言わないことに、政宗は安堵したようだ。穏やかな顔で小十郎に声をかける。
「はい」
「もう一度、笛を吹いてくれ」
「は……?」
 一瞬何を言われたか分からず、小十郎は眉をひそめる。政宗はその言葉を繰り返して、目を閉じた。
「頼む」
「……分かりました」
 請われるまま、小十郎は再び笛を口に当てる。
「……昔も」
 穏やかな音色に耳を傾けながら、政宗は小さく呟いた。
「こうして、笛を吹いてもらったなぁ……」
〈……ああ、やはりか〉
 笛を吹くことは止めず、小十郎はその呟きで自分の考えが正しいことを察した。
 政宗が幼い頃、小十郎が傅役(もりやく)になってしばらく後。ようやく心を開き始めた政宗が、ある夜突然小十郎の元へやってきた。
『……こわいゆめを、みた』
 小さな声で、ただそれだけ。震えながら小十郎に訴える。
『大丈夫ですよ』
 そう言って笛の音を聞かせると、政宗は安心したように小十郎の膝で眠った。それからずっと、悪夢を見た後は必ず小十郎の所に来るようになった。
 最近は絶えていたから、悪夢を見ることはなくなったのだろうと思っていたが。
「……こうしてる時が一番、安心する……」
 そんな政宗の呟きが聞こえたと思ったら、ふと小十郎の肩が重くなった。
「?」
 思わず笛の音を止めてその方を見ると、政宗が小十郎の肩に頭を預けて眠っていた。
「……まったく……」
 自然に、笑みが零れた。彼の顔に掛かる前髪を払ってやりながら、その寝顔の穏やかさに、ホッとする。
 今、彼の肩にのしかかるものは重い。自分は代わってやることは出来ないけれど、こうして傍にいることで、支えてやることが出来るなら。
「……政宗様」
 布団に運ばなければ、と思ったが、もう少しだけこのままでいたくて、小十郎は再び笛を吹き始めた。
 もう少しだけこのまま、このぬくもりを。


《end。》
 

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