雑歌

□会いたい、それだけ
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 壊れるのではないかと思うほど大きな音をたて、保健室のドアが開けられた。中にいた保健医・片倉小十郎は、驚きと呆れの交じった顔をその方に向ける。
「センセ、怪我した」
「……お前なぁ」
 予想通りの人物に、予想通りのセリフ。小十郎はため息を一つ吐いて持っていたペンを置いた。
「保健室には静かに入ってこいっていつも言ってるだろうが。病人がいるんだよ、ここには」
「……今はいねぇだろ」
 すべて空のベッドを横目で見ながら、訪問者はゆっくりと小十郎の方に歩いてくる。
「今はいねぇがいる時も……」
 あるんだから、と続くはずだった言葉は、小十郎の口から出てこなかった。訪問者の服、その右腕に、明らかに血と分かるものが滲んでいたからだ。
「お前……怪我ってそれか?」
「ん? あぁ」
 小十郎に言われ、彼はその右腕をこちらに見せた。量はそんなに出ていないが、そもそも服に血が滲むほどだ。結構ひどい傷なのだろう。
「ここ座れ」
 何よりもまず治療が優先と、小十郎は自分の前の椅子を指差す。彼は素直にそこに座り、右腕を差し出した。
「一体何をしたんだ」
 その袖を捲り、傷を消毒する。深くはないが、細かい傷がやたらにたくさんついていた。
「窓ガラスぶち破った」
「……何でそんなことを」
「別に、イライラしてただけだ」
 それだけ言って黙り込む相手に、小十郎は再びため息を吐く。それだけの理由で、こんな傷を平気で負う感覚が分からない。
「あのなぁ、伊達」
「政宗、って呼べっつってんだろ」
 いつものように小言を言おうとして、いつものように不機嫌そうに遮られる。会う度繰り返されるやりとりに、小十郎はまたしてもため息を吐いた。
 目の前の彼の名は、伊達政宗。この学校の生徒だ。小十郎は、彼にかなり手を焼いている。
 この生徒、成績は優秀なのだが、如何せん素行が悪い。ケンカや校内のものを破壊しては怪我をし、よくこの保健室にやってくる。しかし手がつけられないほどの悪ではなく、物分かりもいいし愛想もいい。
 問題は、素行の悪さではなく、そうなる理由にある。
『何でこんなに怪我するんだ』
 あまりに頻繁なので、不思議に思って小十郎は彼に尋ねた。すると彼は、あっさりとこう答えたのだ。
『怪我すりゃ保健室来れるだろ』
『そりゃそうだが……だから?』
『センセに会いたいから』
『……は?』
『俺、センセが好きなんだ』
『……はぁ!?』
 生まれてこのかた、これ以上の衝撃は受けたことがない。相手は生徒で、その上同性。いくら男子校でも、あり得ないと小十郎は思うのだが。
「何度も言ってんのに……未だに一回も呼んでくれねぇよな」
 消毒液に顔をしかめることもなく、ただ不機嫌そうに政宗は呟く。小十郎に『告白』して以来、小十郎が何を言っても彼はまるで気に留める様子もなく、「名前を呼んでほしい」とまで言い出す始末だ。
「何で名前で呼ぶ必要がある」
 あまりに何度も繰り返された会話なので既に驚きはしない。手早く怪我を消毒しながら小十郎は冷たく答える。それでも政宗はめげない。
「呼んでほしいからだよ。だって」
 好きだから。
 いつものやりとりだ。あまりにいつもと同じで、小十郎は肩を竦めた。
 政宗は驚くほど頑固だ。彼に「好きだ」と言われ、小十郎はすぐに「その気はない」と答えた。けれども政宗は一向に諦める気配がない。
『応えてくれなくていい。ただ、好きでいさせてくれ』
 ……そう言われては、何も返せなかった。これほど一途に思われて、それでも迷惑だといったら嘘になる。
 結局、半端な関係のまま、何度も同じやりとりを繰り返す。あまりよくないことは分かっているけれど、小十郎には終わらせることができなかった。
「頼むからあんまり怪我すんな」
 手当てを終え、小十郎はため息とともに政宗にそう告げた。彼の体は常に傷だらけで、痛々しい。
 しかもこれは、ただ単に自分に会いたいからつける傷。
「何で」
 小十郎の気も知らず、政宗は心底不思議そうな顔をしてみせた。
「何で、じゃない。もう怪我するなよ」
 これ以上、自分のせいで他の誰かの―――政宗の体に傷が増えていくのは、見たくない。政宗の目をまっすぐ見、小十郎は真剣に訴えた。
「……」
 政宗は、何も言わない。ただ小十郎を見つめるばかりだ。いつもの、余裕のある笑みも、少し幼い不機嫌な顔もそこにはない。どこか、捨てられたような、哀しげな顔で。
「伊達?」
 心から心配して言ったのに、何故こんなに哀しげな顔をするのか分からない。小十郎が呼び掛けると、政宗は俯いて小さく呟いた。
「……怪我をすれば、センセに会いに来ていいんだろ?」
「だから、そんなことのために怪我すんなって……」
「じゃなきゃ来んなっつったのはセンセだ」


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