雑歌

□気になる手の罠
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 いつ見ても、傷だらけの手。
 見るたびに気になって、仕方がない。




「おはよ〜」
 待ち望んでいた声が聞こえてきたので、元親はすぐにその方を見た。
 派手な髪色に黒いヘアバンド、愛想のいい笑顔。そして、あいさつをしながらひらひらと振られる手。
〈―――また、傷増えてら〉
 その手をまじまじと見て、元親は眉間に皺を寄せた。
 視線の先の人物の名は、猿飛佐助。この春のクラス替えで一緒になったクラスメイトだが、未だにまともな言葉を交わしたことはない。
 けれど元親は、彼がどうしても気になって仕方がなかった。
 理由は、彼の手。
 元親は『手』が好きだ。異性同性問わず最初に手に目が行ってしまう程で、手が綺麗だから、という理由だけで付き合ったことさえある。いわゆる『手フェチ』というやつだ。
 この春、高校2年になってクラス替えをした時も、もちろんクラスメイトの手を全員分見た。その中に、彼の手があったのだ。
 手の形は整っている。男にしては指は細い。けれどいい具合に骨張っていて、それだけならなかなかいい手だと思うだけだった。
 けれど、彼の手は何故か、無数の切り傷がついていた。
〈何で、あんなに傷が……?〉
 手の甲、掌、指先まで、浅い切り傷だらけだった。しかも両手とも。
 それから1ヶ月、毎日彼の手を見たが、傷は減ることはなく、むしろ毎日増え続けている。
 どうして、あんなに手が傷だらけなのだろう。彼を見るたびに考えるが、答えはさっぱり分からない。
「おはよ」
 ぼーっと彼を見ていたら、近くに来た彼が元親にもあいさつをする。相変わらずひらひらと振られる手は、近くで見るとより痛々しい。
「……なぁ、猿飛」
 そのまま通り過ぎようとしていた彼を、元親は呼び止めた。呼び止められた彼は驚いたような顔で元親を見る。
「へ?」
「ちぃと、こっち来い」
 くい、と顎でベランダを指す。驚いたような顔のままではあるが彼が頷いたので、元親は先にベランダに出た。
「長曾我部……だよね?」
 ベランダに座り込んだ元親の隣に、彼も座る。伺うような彼の言葉に、元親は首を横に振った。
「元親、でいい。呼びづれぇだろ?」
「じゃあ元親、俺様に何の用?」 直球で聞かれて、元親は言葉に困る。けれど何もいい言葉が出てこないので、直球で返すことにした。
「お前さ、何でそんなに手ぇ傷だらけなんだよ?」
 再び、彼の手に視線を向ける。浅くて小さいが、尋常ではない数の傷。日常生活でここまで傷だらけになるなんて有り得ない。しかも1ヶ月も。
「ん? これ?」
 言われて佐助は自分の手を顔の前に掲げた。元親が頷いてみせると、そのまま彼は下を向いて黙り込む。
「……?」
 彼の様子に、元親は眉をひそめた。
〈……もしかして、聞いちゃならねぇことだったか?〉
 あえて言いださないなら、何か特別な事情があるだろうことは、少し考えれば分かるはずだ。好奇心のみで訊ねた自分の短慮に心の中で舌打ちをしつつ、元親は下を向いたままの佐助に声をかけようとした。
「……元親は」
 しかし、その前に佐助の方が声を上げた。―――どこか、楽しげな声を。
「っ?」
「気になるんだ?」
 上げた顔も声と同じように楽しげだ。そんな彼の様子に戸惑いつつも、元親は頷いてみせた。
「そりゃ……気になるだろ、んな傷だらけだったら」
「そっか」
 元親の答えに、佐助は満足そうな笑顔を浮かべた。その笑顔に元親の混乱は更に深くなる。
〈な……んで〉
 何で笑う。
 今は何より、佐助の笑顔の理由がさっぱり分からない。
「ああ、傷の理由だっけ?」
 元親の混乱をよそに、佐助は笑顔のまま少し首を傾げてみせる。そして元親の返事も待たず、「だって」と言葉を繋いだ。
「元親は、綺麗な手が好きなんでしょ?」
「え……」
 何で佐助がそれを知っているのだろうか。別に隠すことでもないし、友人にはそんなことをよく話している。だが、佐助とは言葉を交わしたことさえなかったのに。
 第一、綺麗な手が好きだと分かっていて、それでもこんなに傷だらけということは。
「……お前、俺のこと嫌いか?」
 むしろ嫌ってほしいのか。元親が眉間に皺を寄せると、佐助はあっさりと首を横に振った。
「むしろ、その逆」
「は?」
「この手が」
 きょとん、とする元親に、佐助は自分の手を再び掲げてみせ、ニヤリと笑った。
 それはどこか、子供のように無邪気で、だからこそ悪魔のように恐ろしい。
「この俺様が、元親は気になるんでしょ?」
 ずっと、俺様を見ててくれたんでしょ? だからだよ。




 この瞬間。元親は気が付いた。
 自分は、まんまと彼の罠にはまったのだと。


《end。》
 

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