雑歌

□舞い降りしものは
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 とある森の中に、佐助は音もなく降り立った。
 そこに、いつもの軽い笑顔はない。ただ冷酷な無表情だけがあった。
「……やっぱり、違う」
 呟く声にも、軽さはまるでない。目を細め、見つめた先には幡(はた)、しかしそれは佐助の見知ったものではなかった。
「四国だけど……四国じゃ、ない」
 見慣れた、七鳩酢草(かたばみ)の幡は、もうどこにも見えない。
 この地に、愛しのあの人はもういないのだ。




 その情報を聞いた時、嘘だと、そんなわけないと咄嗟に思った。そんなことあるわけないと、現実じゃないと、受け入れるのを拒否した。
 けれど、それは曲げようもない真実で。
『―――長曾我部元親が討たれた』
 何て、残酷なんだろうと思った。
 忙しい仕事の合間をぬって何度も逢いに行っていたあの人。
 閉じていたはずの心に入り込んできて、簡単に開いてしまった愛しい人。
 傍に居れば、自分は『人』でいられた、大切な人。
 なのに、失ってしまった。
 最後に別れた時だって、笑っていたのに。
『佐助、愛してる』
 また来るよ、と言ったのに、ああ、と返事をしたのに、もう2度と逢うことは……できない。
 あの笑顔を見ることも、声を聞くことも、その手で触れてもらうことも、何もかもが叶わない。
「……元親」
 最期に、自分を思い浮べてくれただろうか。そうであったなら、少しは救われる。
「四国、取り返してあげるよ」
 今現在、天下統一の道を突き進む大将・武田信玄から下された指令。
『次に四国を攻めようと思う。軍を進ませておるが、如何せん情報が少ない。佐助、情報収集をして参れ』
 四国、という言葉に、佐助は少なからず心を騒つかせた。
 四国攻めの戦には、きっと自分も参加する。……元親を殺した奴らを、叩きのめすことができるのだと。
 逸る気持ちを抑えつつさっそく仕事に向かおうとした佐助に、信玄は意外なことを言った。
『軍は急いで進めるが、慣れぬ地の戦、苦戦するかもしれん。……四国のことはおぬしの方が詳しい。場を出来得る限り混乱させ、隙があったならば、大将首をとって参れ』
 佐助は、理解した。信玄は、佐助の気持ちを汲んだのだ。
 つまり、『好きなだけ、気が済むまで暴れてこい』ということ。
『どうなっても、いいっすか』
 そう問うた佐助に、信玄は
『戦に勝てればな』
とだけ返した。
「……いいんだね? 大将……ズタズタにしても」
 小さく呟いて、佐助は腰についていた大手裏剣を両手に取る。それを器用に回すと、視線の先の幡を睨み付けた。
 武田の軍が近付いている、という情報は当然ながら入っているだろう。しかしその準備はまだ万端ではない。ましてや忍が単身突攻してくるなど、予想するはずもない。
「さぁて、行きますか……」
 佐助の唇が、弧を描いた。それは愛しい人にさえ見せなかった、冷酷で残忍な忍の顔。けれどどこか哀しげに見えるのは、気のせいではないのだろう。
 ―――不意に、気持ちのいい潮風がざぁっと吹き抜けた。佐助は目を閉じてその風を感じる。
 潮風は、まさしくあの人だ。この風が吹くだけで、まるで傍に居てくれるような感じがする。
〈……気持ちいい〉
 風が止むと、佐助は目を開いた。そして彼には珍しく、歯を見せてにやりと笑った。
「……ぶっ殺してやる」
 誰もいない森の中、当然気付くものは誰もいなかった。
 彼の橙の髪が、一瞬銀色に染まったことを。




 四国に、再び鬼来たる。


《end。》
 

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