雑歌

□日は沈み、色を変え
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「伊達!」
「政宗って呼べよ!」
 いつもの言葉を残して、政宗は保健室を出ていった。その後ろ姿を見送って、小十郎は深いため息を1つつく。
「……今日は、“いつも通り”……か」
 ついそんな言葉が口から出て、小十郎は首を緩く振った。
『……分かってるから、言わないでくれ』
 “いつも通り”でなかった、あの時。
 それから数日経ったが、政宗はその時のことには触れず、また小十郎にも触れさせず、まるでなかったかのように、“いつも通り”に振る舞っている。しかしその“いつも通り”に、小十郎は違和感を感じずにはいられなかった。
 あの“いつも通り”でない彼の言葉こそ、彼の本音だろうに。
『センセの口から、教師とか、生徒とか、立場とか……聞きたくねぇから』
〈何でだ……〉
 その理由も、分からない。
「伊達政宗……か……」
 一応、小十郎の手元には彼の簡単な資料があるし、頭の中にも彼に関する情報がある。しかし、それはあまり多くはない。
 誰もが知っている伊達グループの御曹司で、成績は優秀。保健医として見ると、健康状態は良好、ただ幼い頃の病気で右の目を失明している。本人と直に会って把握している性格以外では、小十郎が知っているのはこのくらいだ。
〈そしてきっと、これ以外の何かが理由なんだろう……〉
 小十郎の知らない部分で、政宗は何かを抱え込んでいる。それはきっと、政宗にとっては最も大事で、だからこそ誰にも晒せないもの。
〈俺にさえ言わねぇくらいだ〉
 保健医として、生徒の相談相手にもなっている小十郎にも、政宗は悩みや相談などを持ちかけてきたことはない。
『……俺の本心が、見たいんだろ? ならセンセも見せてくれよ……全部』
「……そういうことなのか……?」
 好きだと気持ちは向けてくれても心を開いてくれないのは、小十郎がその想いに応えないからだろうか。だから何も言わない、何も教えない。
 けれど小十郎はその逆だと、心の内を知らなければ、政宗の想いにきちんと応えられないと思う。
 好きだと言いながら壁を作って、絶対に心の内を見せない。それではこちらも心の内を見せられないと思うのは自然なことではないだろうか。
「……いや、一度……あったな」
 そこでふと、小十郎はあることを思い出した。
 それは、何故自分なのかと問うてみた時の、政宗の答え。
『……センセは』
 聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声。不自然に逸らされた顔。だから瞳は、見えなくて。
『俺を拒絶しない大人だから』
 その後すぐに茶化したから、そんなに深くとらえないでいたけれど、今考えると、おかしな言葉だと小十郎は思う。
 だって小十郎は今まさに、政宗の気持ちを拒絶し続けている。それなのに『拒絶しない大人』とは、どういうことなのだろう。
「拒絶しない……大人、か」
 たったそれだけ、しかも抽象的な一言だけだが、それは政宗の心の一端だ。きっとそれは今も変わってはないはずで、あの瞳の裏側にあったものも、おそらく同じもの。
 政宗はおそらく、何かを―――否、誰かを恐れている。『立場』で彼を苦しめ、彼を拒絶する、大人。それが誰なのか分かれば、もう一歩彼の心の中に踏み込めるはずで……
「……待て」
 そこまで考えて、小十郎は思わず己に問うた。
「俺は、あいつを知りたいのか……?」
 言いたくないなら言わなくても構わないはずだ。むしろそういうことは、言いださない限り聞き出してはならない。なのに今の自分は、政宗の心の内をどうしても知りたいと思っている。
「俺もどうしちまったんだか……」
 額に手を当て、小十郎は再び深いため息を吐いた。
 最近、頻繁に会っているから、気になるような態度を見せられているから、政宗のことをこんなにも気に掛け、考えてしまうのだろう。
〈……いや、そんなのはただの言い訳か……〉
 小十郎は緩く頭を振って窓の外に視線を向けた。既に日は沈みかけていて、空の色は変わろうとしている。
「……伊達……」
 いつの間にか小十郎の心の中を政宗がだいぶ占めていることに、小十郎は気が付いていた。




 たとえ政宗に何と言われても、小十郎は教師や生徒、立場というものを気にしないわけにはいかない。それこそ、立場上、関係上、どうしてもだ。
 けれど―――政宗を思わずにはいられない自分がいることも確かで。
 政宗が見せろといった小十郎の心の内は、小十郎自身でさえ把握できない程揺れ、乱れている。だから今の小十郎には、この心を表すことも、政宗に何かを応えることもできない。
 それでも、確かに言えることはただ1つ。




 頼むから。
 そんな目を、しないでくれ。


《end。》
 

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