雑歌

□酒と月の光と
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 それが本当は不機嫌ではないのだと、小十郎にはよく分かっていた。
「こうして……触れられなくなります」
 ただでさえ、遠い存在。本来ならこんなふうに触れるなど、思うことさえない。
〈……ああそうか……似ているのは、これか……〉
 素晴らしい方だと思う。しかし、それだけでは言い表わせない。強くもあり、弱くもあり、冷酷でもあり、優しくもあり―――多様な顔を持つこの人を的確に表す言葉を、小十郎は持たないが、それでこの人の在り方が変わるわけではない。さっき思ったことは、そのまま政宗に当てはまる。
 だから、見ることはできても触れられない、遠い月にはなってほしくない。そこまで、似ないでほしい……。
「……あなたの、傍にいられないのなら……何の意味も、ない……」
「小十郎……」
 政宗がゆっくりと小十郎を振り返る。苦い顔をしているのかと思ったが、意外にも彼は悲しそうな顔をしていた。
「……っ」
 瞬間に、政宗を強く抱き寄せる。この腕に閉じ込めてしまえば、小十郎の胸の痛みも幾分か和らいだ。
〈ああ、まだこの腕の中にいるのだ〉
 手を伸ばせばそこにいて、まだ触れられる。ただそれだけが何よりも喜ばしいこと。
「小十郎」
 大人しく腕に納まっていた政宗が、静かに声を上げる。恐る恐る顔を覗くと、彼は柔らかに微笑んでいた。
 再び、政宗様、と呼び掛ける前に政宗の唇が重なる。また触れるだけで離れようとする前に、今度は小十郎が政宗の顔を引き寄せた。
 顎を捕らえ、角度を変えて何度か重ねると、誘うように政宗の舌が小十郎の唇を舐める。その誘いに逆らわずに小十郎は自分の舌を差し入れ、強引なまでに政宗の舌を絡めとった。
「ん……」
 甘やかな声が、小十郎を掻き立てる。更に引き寄せて、深く、深く口付けると、政宗の手が小十郎の背に回った。
「……誰かに」
 苦しくなった息を継ごうと唇を離すと、政宗が擦れた声をあげる。
「見られたら、困るんじゃねぇのか」
 どこか意地の悪い笑みを浮かべる政宗に、小十郎は少々呆れた。さっきの小十郎の小言のことを言っているのだろうということは、すぐに分かる。変なところで子供じみた方だ。
「……見ておりませんよ」
 顎を捕らえていた手で髪を梳き、小十郎は静かに微笑んでみせた。
「皆、月に目を奪われます故」
 す、と政宗の前髪を掻き上げ、眼帯のない右目に口付ける。政宗は少し驚いた顔をした後、柔らかく微笑んで左目を閉じた。
「月読にかなうものなし、か……まぁ、俺もお前もそれに誘い出されてきたんだしな」
 そのまま政宗は小十郎の肩に頬をすり寄せる。その甘える様が可愛らしくて、愛しくて、小十郎は政宗の身体を更に強く抱き寄せた。
「……貴方の方が綺麗だ」
 知らずに、さっき飲み込んだ言葉が零れる。しまったと思った時には、既に遅かった。
「……え?」
 政宗は驚いたような顔を小十郎に向ける。それからにやりと笑って、する、と小十郎の頬を指先で撫でた。
「何だ……酔ってんのか?」
「……そうですね」
 そのどこか蠱惑的な微笑みに目を細め、小十郎は少し困ったように微笑む。
「だいぶ……酔ってしまったようです」
 そして自分の頬を撫でる政宗の手に、自分の手を重ね、政宗の指を、ゆっくりと絡めとる。さして抵抗が無いことをいいことに、小十郎はその指に唇を寄せた。
「たいして飲んじゃいねぇくせに」
 楽しそうにクッと笑い声をあげると、政宗はお返しとばかりに小十郎の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「お前がそう言うなら……月に焦がれる必要もない、な……」
 少しだけ、熱を孕んだその声に小十郎は息を詰まらせる。誘うような声音に負けそうになる自分を抑えながら、小十郎は1つ咳払いをした。
「そろそろ……お部屋に戻られては。だいぶ、冷えてまいりましたし」
 雰囲気を壊すようなことを言うと政宗に怒られるのは分かっていたが、実際空気はだいぶ冷たかった。触れた指先も冷たくて、これ以上外にいたら風邪をひきかねない。
「ふん……確かに、冷えたな」
 先程のように機嫌を損ねると思っていた小十郎だが、政宗は機嫌を悪くしたふうもなく、微笑んで肩を竦めた。
「部屋に戻るか」
「では」
 多少ホッとしつつ、小十郎は政宗を促して立ち上がる。政宗の傍らにあったとっくりと盃を片付けるため、政宗とは違う方へ足を向けようとすると、政宗に腕を掴まれた。
「?」
「お前も来い」
「は?」
 ですが、と続けようとしたが、政宗が小十郎の腕を引き寄せ、顔を近付けてきたので、小十郎は言葉を飲み込んだ。


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