雑歌

□会いたい、それだけ
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『ここは病人と怪我人が来るところだ、憩いの場じゃねぇ』
 それは、小十郎がよく言うことだ。本当に必要な人が使えないのでは保健室の意味がない。だから極力それ以外の人は入れないようにするために。
「そりゃ……そうだが……」
 だからといってわざわざ怪我をしてまで保健室に来る必要があるだろうか。小十郎が思わず眉間に皺を寄せると、政宗は俯いたまま小十郎の腕を掴んだ。
「会いたいんだ、センセに」
 腕を掴む手は、微かに震えていて。
 聞いたことのない、懇願するような寂しげな声で。
〈……俺も、大概甘いな〉
 それだけで、許してもいいと思えてしまう。
 政宗の周りには、いつも人がいる。親しみやすく頼りがいのある性格を慕って集まる他の生徒達、そして良い家柄のためにどうしても寄ってくる、悪意を含んだ大人達。
 保健医として多少の事情は知っているが、本人が表に出さないため踏み込んだことはない。しかし、実際本人が何も感じていないわけではないのだろう。
 だから、こうして露にした感情を、拒否できない。
 理由はいまいち分からないけれど、甘い。本当に、自分は彼に甘い。
「……1時間だけだ」
 諦めのため息とともに、そんな言葉が零れた。
「1日、1時間だけなら、ここにいていい」
「ホントか?」
「ただし、きちんと学校に来て授業に出て、問題起こさず無駄な怪我しないと約束するなら、な」
 何のことはない、普通の生活を送れというだけの、我ながらおかしな交換条件だとは思うが、今の政宗はそれをしていない。これで改善するならまぁ安いものだな、と小十郎はどこかで思った。
「……ホントだな?」
 その瞬間。
 さっきの寂しげな声とは違う、何かを企んでいるような声が、再び問い掛けてきた。
「伊達?」
「本当なんだな?」
 俯いたままなので表情は見えない。訝しがる小十郎に、政宗は三度問う。
「あ、ああ……」
 念を押され、小十郎は奇妙に思いながらも頷いた。すると小十郎の腕を掴んでいた手が、小十郎の顔に伸びて―――
「!?」
 気付いた時には、政宗に口付けられていた。
「なっ……」
「覚悟しといてくれよ」
 唇を離すと、政宗はにやりと笑って立ち上がる。そして呆然とする小十郎をよそに、保健室の出入口へ向かった。
「言ったのはセンセだからな。1時間、充分だ。毎日1時間で、絶対落としてみせる」
 出入口で足を止め、小十郎を振り返る。その顔はいつもの、否いつも以上の余裕たっぷりの顔。
 未だ呆然としたままの小十郎に、政宗はあろうことか投げキッスを送ってきた。
「愛してるぜ、センセ。また明日」
「伊達!」
「政宗って呼べよ!」
 ようやく我に返った小十郎が呼び掛けても、政宗はいつものセリフを残してそのまま保健室から出ていってしまった。
「あいつっ……」
 言いたい言葉はたくさんあったが、何も言葉にならない。小十郎は頭を抱えた。
 騙された。そんな言葉がとにかく頭を回る。ほだされた自分も自分だが、まさかそんな手を使ってくるとは思わなかったのだ。
「そんなの……卑怯だろっ……」
 しかしそれを正面きって咎められない時点で、既に小十郎は彼に負けているのだろう。
 認めたくは、ないが。
『愛してるぜ、センセ。また明日』
 顔を上げて、政宗が出ていった出入口に視線を向ければ、さっきの彼の姿が思い出される。今時投げキッスとか有り得ないだろう、と思いつつも、笑えない自分にまた頭を抱えた。
「あれを毎日、ってことか……?」
 自分の甘さを今更ながらに後悔し、小十郎は今日何度目か分からないため息をついた。




 長い戦いが、始まりそうだ。


《end。》
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