雑歌

□瞳の裏側
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「いや? ただの連絡メール」
 いつもの小生意気な笑みを浮かべようとして失敗しているその顔は、それでもどうにかいつも通りを演じていて、それがまた痛々しい。
 どこか、傷だらけの政宗の体を見ている時の感覚に似ていた。
「本当にそれだけか?」
「そんなに気になんのかよ?」
 いつもの笑みの裏側を読み取ろうと、小十郎が政宗の瞳を覗き込むと、政宗はほんの少し視線を外し、冗談めかして笑った。
「俺のこと、そんなに知りてぇ? センセ、実は俺のこと好きなんだろ?」
 視線を外されたうえ、軽口を叩かれて、小十郎は眉間に皺を寄せる。こちらは真剣なのに、そうやって茶化されるのは嫌いだ。
「俺は真面目に……っ」
 本気で怒った小十郎の言葉は、政宗の唇に吸い込まれた。強引に首を引き寄せられ、触れるというより噛み付くような口付け。
「っ……!!」
 小十郎は引き離そうとしたが、政宗は小十郎の首に腕を回し、容易に離れそうにはない。強く唇を押しつけ、時折小十郎の唇に歯を立てる。
〈ダメだ……〉
 今までも、冗談で政宗が口付けてくることはあった。けれどそれはいつも軽く触れる程度で、こんなに激しくしてきたことはない。突然のことに、小十郎は意識ごと持っていかれそうな感覚に襲われた。
 キスとは、こんなに眩暈を引き起こすものだったろうか。
「……俺だって真面目だぜ?」
 ようやく唇が離れると、政宗は真剣な声でそう呟いた。目は伏せられていて、表情はよく分からない。
「な……?」
「真面目に、センセのこと好きだって言ってんだ」
 さっきの眩暈のせいか、一瞬、政宗が何を言っているのか、小十郎は分からなかった。それでも真剣な声はしっかり耳に入って、反射的に首を横に振る。
「俺は……」
 それには応えられない。そう続けようとしたが、それが口が出てこなかった。
 政宗の視線が、小十郎に向いたのだ。その瞳はいつもの小生意気なものではない。強く激しい、まるで獣のような。
「教師だとか、生徒だとか、そんなことは問題じゃねぇ。……俺の本心が、見たいんだろ? ならセンセも見せてくれよ……全部」
 その獣めいた瞳に、不覚にも、小十郎はたじろいだ。さっきの口付け以上に、小十郎を飲み込んでしまいそうな瞳。このままだと、すべてさらわれてしまいそうだ。
〈……マズイ〉
 目を通じて、心の中を見透かされそうだ。
 そんなことを思って小十郎が目を逸らす前に、政宗の瞳から激しさが消えた。
「……分かってるから、言わないでくれ」
 そして、小さく呟く。
「センセの口から、教師とか、生徒とか、立場とか……聞きたくねぇから」
 その瞬間。さっき読み取ろうとした裏側が、瞳の中に少し見えた気がした。
「お前……」
 どうしてそんなこと言う、というセリフは、今度は政宗の腕時計のアラーム音によって遮られた。
「っ!?」
 まったく忘れていたせいで、2人同時にびくっ、と肩を震わせる。一瞬の沈黙の後、政宗が軽く笑った。
「……残念」
 小十郎から離れ、政宗は腕時計のアラームを止める。その顔に浮かぶ笑みは、今度は完璧に、いつも通りだった。
「あともう少しで落ちるところだったのに」
 わざとらしく肩を竦めて、政宗は鞄を手に取り、立ち上がる。そして未だ呆然としたままの小十郎の唇に、ちゅっと音を立ててキスをした。
「っ!」
「ま、いいか。手応えありそうだしな」
 目を見開いた小十郎ににやりと笑ってみせるその顔が、やはりいつも通りで。
 小十郎はさっきまでの思考ややりとりを忘れて、眉間に皺を寄せた。
「伊達っ!」
「また明日な、センセ!」
 小十郎の声に、政宗は“いつもの”笑みを浮かべ、軽く手を振って保健室を出ていった。一瞬そこに違和感を感じたが、それ以上に疲労を感じて小十郎は深い深いため息を吐く。
「……何やってんだ、俺は」
 年下に主導権を握られ、翻弄されて、あまつさえ飲まれてしまいそうな自分が情けない。小十郎だっていい大人だ、ある程度の恋愛経験もある。けれど政宗は、それも含めて小十郎の全てを飲み込んでしまいそうだった。
「向こうの方が余裕あるってどうなんだよ……」
 あんないつも通りの顔しやがって、と思ったところで、さっきの違和感を再び感じる。不思議に思ってさっきのやりとりを思い返せば、その違和感の正体は、すぐに分かった。
 何度も何度も繰り返したはずの。
『政宗って呼べよ』
 “いつもの”その言葉がなかった。




 あの瞳の裏側には、一体何があったのか。
 見落としてはいけない気がした。


《end。》
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