パラブルストーリー
□深紅の花咲く光の丘で
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夕食を終えて、アルティリカは重い気分のまま部屋の扉を開ける。
それなりに古い蝶番がギィィと鳴いた。
「はぁ……」
寒い部屋に、本日何回目かのため息が白く流れて、そして消える。
冬の、しかも私物もほとんど置かれていない殺風景な部屋は物寂しく、色あせて見える。
いつまでも入り口で突っ立っているわけにもいかないので、アルティリカはのそのそと多くもない荷物を整理しはじめた。
とりあえず、お金と少しの服をよれよれの革の鞄に詰め込む。途中、クローゼットの奥のほうからばさっと音がして、ずいぶん前の魔法地理の資料集が落ちてきた。
なんとなくぱらぱらめくっていたアルティリカは、あるページで手を止めた。
世界の真ん中に聳える、一本の樹。
『世界樹』と呼ばれるそれは、世界が始まったときからそこに在って、世界のすべてを見守ってきたのだという。
「…………」
アルティリカはしばらく、息をするのも忘れるほどにそのページに見入った。
いつかは思い出せない昔から、一度は自分の目で見てみたいと思っていた。忘れかけていたその思いが、アルティリカを突き動かした。
「うん」
どうせ一週間も行くあてがないのだ。思い切って、世界樹を見に行ってみよう。
今まで考えたこともなかった、15年間暮らしたフィラメントの街の外へ出るという行為が、なんでもない、とても簡単なことのように思えた。今まで何を躊躇っていたのだろう、とすら思ってしまえるほどに。
アルティリカは資料集を放り出して、急いで荷物をまとめはじめた。
◆
「あんたそれで大丈夫なの?」
翌朝、キーナさんは心配そうにそう言った。行き先は、と訊かれてアルティリカが「アースガルズ」と言ったためだ。
そこは世界樹を擁する街であり、世界の真ん中に位置する。アルティリカが住むこのフィラメントの街は世界の西の端。ここからだと、大陸を東に半分も横断しなければならない。
しばらく考え込むように黙ったキーナさんは、
「何かあったら、伝達魔法をよこしなさい。あんたはコントロールは下手だけれど魔力だけは無駄に多いから、何発か撃てばなんとかなるでしょう」
そう言って、伝達魔法の補助呪文が刻まれた細い紙を幾つかくれた。
「ありがとう」
アルティリカは素直に受け取ったが、ちょっとむすっとした。下手下手って、みんなうるさいなぁ。……本当のことだけれど。
寮のエントランスを通りすぎて、扉をくぐってから一度振り返った。
「いってきます」
笑顔で手を振るキーナさんの見送りを背に、アルティリカはもう振り返らずに歩きはじめた。
だんだん小さくなっていくアルティリカの後ろ姿を、キーナさんは静かに見送った。
「いってらっしゃい」