パラブルストーリー


□深紅の花咲く光の丘で
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 Altirica's side ――

 アルティリカはひとり、色とりどりの花が咲き乱れる丘の上を歩いていた。控えめに土を掘って固めた細い道を、ゆっくりと辿ってゆく。
 フィラメントの街はとっくに地平線の彼方で、何も考えずに東だけを目指して歩いてきた彼女は、後ろを振り返ったとたんに不安で足がすくんでしまった。
 もう街があった方角も何も分からない。もし戻ることが出来なかったら――。嫌な考えを、頭を振って追い出す。
 いつのまにか丘の花畑は、混じりあったモザイク模様から、深紅の一色に変わっていた。紅い花だけが咲くそこは、丘の緩急に沿って広がる絨毯のようだった。
 立ち止まってしばらくその幻想的な景色に見とれていたアルティリカは、ふと、紅い絨毯の真ん中にちいさな窪みがあるのに気がついた。
 なるべく花を踏まないように、そっと近づくと、窪みの正体を見つけた。
 そこに、紅い花を押し潰すかたちで、青年がひとり横たわっていた。
 彼が纏う、茶色を基調とした衣服にはアルティリカにとって見慣れない不思議な模様や柄が散りばめられている。袖口から覗く手足は華奢で、しかし弱々しい印象は受けない。花の深紅に半分埋もれている髪は、荒野を彷彿とさせる赤茶色だった。

「こんな所で、何しているの?」

 言葉は問いのかたちだったが、ほとんど独り言のように、アルティリカは呟いた。眠っているのだろうか、それとも……。
 アルティリカが彼の傍に膝を落としたのと同時に、青年は目を綴じたままで、微かに唇を動かした。

「ここでくたばれたら良いなと思って」

 低い声は掠れていたけれど、しっかりとアルティリカの耳に届いた。
 衰弱したようなその枯れた声が、彼の言葉にほんのちょっとの現実味を持たせている。

「死にたいの?」
「生きたくないだけ」

 それは死にたいということではないのだろうか。青年の微妙なニュアンスは、アルティリカには分からない。彼女は少し戸惑った。

「死んだら悲しむひとがいるよ」
「あんたにはね。……俺には居ない」

 相変わらずの掠れた声で、しかしはっきりと言い切られてしまい、アルティリカは反応に困った。ややあって「あぁ」と、青年は思い出したように付け足した。

「俺が死んで、喜ぶやつならひとりいる」

 アルティリカは、眼を伏せてうつむいた。しばらくそうして、黙っていた。なんと答えれば良いのか分からなかった。沈黙に耐えられなくなって咄嗟に、

「じゃあ、わたしが悲しむひとになるから、死んじゃ駄目」

 そんなことを言った。言ってから自分で驚いて、そうしている間に青年ははじめて今まで固く閉ざしていた目をそっと開いた。
 彼の茶褐色の双眸が、アルティリカのエバーグリーンの瞳を捉える。

「面白いこと言うね、お前」

 青年はゆっくりと起き上がった。紅の花弁が、はらはらと散った。名前は、と訊かれて、彼女は答えた。

「アルティリカ」
「ふぅん」
「あなたの、名前は」

 アルティリカが訊くと、青年はしばらく何か考えるしぐさを見せた。ふつう、自分の名前を迷うことはないと思うのだけれど。
 なんだかこのひとは、彼女がいままでに出会ったどんなひとよりも不思議で、不安定で、儚く思えた。やがて彼は「ヒース」と名乗った。

「よろしく、アルティリカ。――アルトでいい?」

 そう言って彼は、ヒースは、立ち上がった。ひょろりと背が高かった。
 よろしくと言ったわりに口調はいくぶんぶっきらぼうだったが、手を差しのべてくれた。アルティリカはその細くてごつごつした指先を、そっと控えめに掴んだ。


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