人類最強の兵長と。

□Another side story 2
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軽快に歩く音と、杖の音が廊下から聞こえてくる。朝日を背に浴びた少女が、今日も嬉しそうに東舎の廊下を駆けていく。他の兵士を起こしてはいけない、と、個人の部屋の前を通るときは速度を落とし、細心の注意を払って目的地に向かう彼女の金髪が、朝日に輝いて揺れている。

『よし…。こほんっ』

 軽く咳払いをした少女が、慣れた手つきで団長室の鍵を開けた。そして、静かに中に入ると、やはり室内はカーテンが閉じられており、薄暗いまま。目的の人物がベッドにいるのを確認して、アリアはくすっと笑った。左手に抱えた松葉杖でうまく歩く彼女は、その扱いに慣れているようだ。

『エルヴィン団長…!おはようございます、朝ですよっ!』

 言葉と同時に、エルヴィンの身体を揺する。190センチ近い彼にとって、アリアの力など幼子と同じ。心地よい揺れに目を開けたエルヴィンが、またいつものように、アリアの手を握って彼女を引っ張り、ベッドの上、つまり、自分の上に乗せた。

「おはよう、アリア…。」

『おはようございます。…えっと…重くないですか?』

「…まだ…眠いな…」

 再び目を閉じたエルヴィンが、自分の上に乗っているアリアの背中に手を回す。まるで抱き枕を手に入れたかのようにぎゅっと抱きしめたまま寝返りを打とうとするエルヴィンに、アリアは手脚を動かして抵抗する。しかし、相手はエルヴィン。間違っても殴ったりしてはいけないし、抵抗するにも、寝ぼけた相手となると、中途半端になってしまう。

『えっ?ええっ??寝ちゃダメです、団長!』

「あと20秒…」

 確かに朝早い時間帯。しかしエルヴィンがこの時間に起こしてくれ、と言ったのだ。最近だんだんと陽が長くなっており、朝日が昇るのも早くなった。だからこそ、いつもよりも長く朝の訓練をするために、とアリアに頼んだのはエルヴィン。いつもよりも一時間早い起床は、確かに辛いが…。

『だ、ダメですってば!私は抱き枕じゃありません!』

「まだ日が昇っていない…。」

『の、昇ってます!暗いのは、カーテン閉めたままだからです!』

「…起こしに来ねぇと思ったら…こんな所でもたついてやがったか。」

 突然開いた団長室のドア。差し込む朝日を背景に立っていたのは、既に兵服に着替えて準備万端なリヴァイ。新型立体起動装置の訓練を朝からしている、と聞いた彼は即座に自分も参加する意を表した。訓練を初めて早一週間。彼は、アリアが起こしに来るよりも早く起きる事が日課になっていた。

「エルヴィン!テメェ、朝から何ふざけたことをしてやがる…!」

「ああ、リヴァイか…。お前は朝から本当に元気だな。」

「ジジィみたいなこと言ってんじゃねぇ。おら、ガキを手放せ。」

 団長室に入って来たリヴァイはアリアの所へと猛進し、その腕を掴んでエルヴィンから引き離す。やっと床に着地したアリアは、床に置いていた松葉杖を取り、急いで部屋のカーテンを開けに行く。そうして差し込んできた朝日によって、エルヴィンはゆっくりと目を開け、上半身を起こした。

「いや、すまないな。二人とも、先に森に向かっていてくれ。俺もすぐに向かう。」

『はーい!行きましょ、リヴァイ兵士長!』

「分かってるだろうが、テメェは今日も地上で留守番だ。」

『分かってますよ!リヴァイ兵士長が落ちてきたら、ちゃんと受け止めますから。』

「あ?テメェ、もう一回言ってみろ…」

 賑やかに団長室を出て行った二人を見送って、エルヴィンは頬を緩ませた。あれから、一週間が経った。アリアは松葉杖の使い方に慣れ、あと少しでギプスを外せるようになった。このように毎朝、そして寝るまで、必ずエルヴィン、リヴァイ、もしくはハンジのいずれかが、アリアと共に行動するようになって一週間。

 黒い集団からの襲撃は、あの件以降、一度も起きていない。

『あの、リヴァイ兵士長。』

「あ?」

 廊下を並んで歩く二人。そこに、以前のような緊張感はほとんどなく、アリアも自然体で彼に話しかける。

『エルヴィン団長って、自分のこと、俺って言うんですか?』

「……ああ、そうだな。」

『そうなんですね…。さっき、初めて聞きました。いつもは、私、だった気がして。』

「…団長として話す時は私、だ。テメェにやっと慣れてきたんだろうな。」

 ハッ、と鼻で笑ったリヴァイが空を見上げる。空は快晴、雲ひとつ無いせいで地熱が宇宙へと逃げてしまっているためか、朝は少し寒く感じられた。アリアが、またも慣れた手つきで倉庫の鍵を開ける。そこには完成した立体起動装置が十台、重厚な箱に入れられて保管されていた。

 一週間で十台作成する、というノルマを達成したのは、つい昨日のことだった。

 開発部と技巧部の男達が睡眠時間を削って作業した結果、エルヴィンが求める数だけ完成させることができた。エルヴィンはその知らせを聞き、昨日の夜、開発部と技巧部に葡萄酒を送ったのだそうだ。その時自分も乾杯に加わり、酒を呑んだらしい。だからこその、あの寝起きだ。

「アリア、スチールの替刃を二枚準備しろ。」

『あっ、はい!そういえばリヴァイ兵士長は、エルヴィン団長たちの前では、私のことガキって呼びますよね…。』

 替刃の入っている鋼鉄製の扉の鍵を開けたアリアが、呟く。本来、この替刃の棚を開けることは倉庫の責任者以外できないのだが、エルヴィンから鍵を預けられているアリアは、この時だけ開けることを許される。もちろん、朝の訓練が終わったらエルヴィンに返却する約束になっているのだ。

「…あ?」

『あ?じゃないですよ!どうしてガキって呼ぶんですか?アリア、って今みたいに呼んでくれたらいいじゃないですか…。』

「チッ…めんどくせぇ。訓練始めるぞ。」

 そう言ったリヴァイが、トリガーを握る。その瞬間、スチールが朝の日差しに反射して、アリアの顔を照らした。眩しさに、アリアが目を閉じる。その瞬間、ワイヤーの発射音が耳に届く。ああ、今日もリヴァイ兵士長は絶好調に跳び回るんだ。そんなことを考えながら目を開けると、高々とそびえる広葉樹林の中を、縦横無尽に駆け回るリヴァイの姿が見えた。

 目で追えるギリギリのスピードで跳び回る彼は、初めて新型立体起動装置を使ったときとは比べ物にならないほどのスピードと操縦技術を身に着けていた。こうしている時のリヴァイは、無表情ながらも、楽しそうに見えた。無心に跳びまわり、集中しているせいで、こちらが呼んでも答えない。そんなことは、いつものことだった。

 だが、彼なりにアリアのことを気にかけているのか、決して森の深層部までは行かずに、必ず帰って来てくれる。だからこそ、地上で待っているアリアも、安心して待つことができた。

「すまない、遅くなった。」

 兵服に着替えて凛々しいいつもの団長となったエルヴィンがやって来た。彼の眼はリヴァイを追っており、また速くなったな、と感心するように呟いた。

『スチールも使いますか?』

「ああ、そうしよう。それにしても、リヴァイが楽しそうだな。」

『あははっ、団長もそう思いますか?ホント、すっごく楽しそうです!』

 笑ったアリアが、エルヴィンに新型立体起動装置を手渡す。そしてベルトの装着を手伝うために彼の足元に跪く。この一週間ほど、毎日やってきたこの行動。もう慣れてしまっているアリアは、エルヴィンと会話をしながら彼のベルトを次々に繋いでいく。ワイヤーを発射する音が聞こえて顔を上げれば、リヴァイがこちらに飛んできていた。

「遅ぇ、エルヴィン。」

「ああ、すまない。俺もすぐに行く。」

『あっ、ほら!俺って言った!』

 立ち上がったアリアが、エルヴィンを見上げる。その目は好奇心に溢れており、当人のエルヴィンは、アリアが何に対してこんなに興奮しているのか解らず、首を傾げる。

「お前が自分のことを俺って呼ぶのが、新鮮らしい。」

「そうか?…ああ、そうだな。仕事をしているときは一人称を変えているのは事実だ。よく気が付いたな。」

『ふふっ、団長が俺って、いいですね!すごく新鮮です。』

 エルヴィンが一人称を私、として呼んでいたところしか見ていなかったアリアにとって、エルヴィンが俺、と称するのがくすぐったくて堪らない。自然と笑顔になってしまう彼女に、エルヴィンは参ったな、と言って少し照れた。

「コイツが照れるのは珍しい。おいガキ、もっとエルヴィンを照れさせろ。」

「待てリヴァイ、からかうんじゃない。」

 はは、と照れて笑うエルヴィンと、それを少し意地悪そうな目で見ているリヴァイ。二人とも肩の力を抜いて話をしているのが分かるのが、アリアは何より嬉しかった。

『リヴァイ兵士長とエルヴィン団長って、仲良しですね。』

「…仲良し?」

「馬鹿言え。どうしてコイツと俺が仲良しになる。」

『どうして、って…。お互いのことすごく分かってる感じがして、いいなぁって思います。お二人は、調査兵団で知り合ったんですか?』

 エルヴィンの新型立体起動装置の箱を仕舞いながら、アリアが尋ねた。倉庫の入り口に置いてあるリヴァイのものと並べておくことにしよう、とアリアが地面に置いていた松葉杖を手に取る。そこで、二人から返事がない、と脚を止める。

『あれ…?』

 松葉杖を付きながら方向転換した彼女が、振り返る。もちろんそこにリヴァイもエルヴィンも立っているのだが、二人とも、先ほどまでとは打って変わって、静まり返ってしまっていた。どちらも口を開かず、リヴァイに至っては、その三白眼を訓練の森に向けていた。

『もしかして…出会いの話は、禁句ですか?』

「あ、…ああ、そうだな。記憶の中に封じ込めておくとする。」

「…下らねぇ話はいい。さっさと訓練するぞ。」

 そう言って、リヴァイは背を向けて飛び去ってしまった。エルヴィンも、こちらに合図をして、颯爽と飛び去ってしまう。一人残されたアリアが、上空を舞う二人を目で追いながら、溜め息を吐く。二人の出会いはどんなものだったのか、ちょっと興味があっただけに残念だ、と顔に書いてある彼女。

 松葉杖をついて歩くのが面倒になったのか、彼女はエルヴィンの立体起動装置の箱に腰をかけて、空を見上げ、そして自分の左足を見た。一週間前に書いてもらったメッセージは、未だはっきりと残っている。だが、今日、彼女はこのギプスを外すつもりをしていた。

 この事をまだエルヴィンに伝えられていないが、この訓練が終わったら、医務室に行きたい、と伝えるつもりだ。今日は、この脚を見られるわけにはいかない。

 今日は16日。

 国有金庫から、今月分の調査兵団への寄付金を引き出し、エルヴィンに渡す日。

 そう、内地に向かう日である。



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